スロバキアの香港国家安全維持法反対から見るEU

はじめに


先月7月から、世界各国の外交が少しずつ動き始めました。


もちろん、早期にコロナ渦を脱したと公言する中国は6/18には一帯一路国際協力ハイレベル会議(JETROホームページ)を開催、各国代表やWHO事務局長に対してコロナ終息状況下の国際支援・協力を提唱しておりましたし、コロナに関係ない話としては6/30以降国連人権理事会を舞台とした香港・ウイグル関連の共同声明(イギリス政府HP)(中国国連常駐ジュネーブ事務所HP)などもありました。


しかし世界各国がそれぞれのコロナ被害にあう中、取り敢えず終息状況下を見据えた国際活動を少しずつ復活させたのは7月以降と言えるでしょう。


ところでこの世界各国の動向、その大きな潮流は対中観であったと思われます。中国からのコロナ対策支援、或いは中国による近隣エリアへの圧力を、コロナ終息状況下でどのように認識していくか。これは当たり前ですが各国それぞれの状況や、首長の性格によるものかと。 


6月までの活動は、コロナ終息状況に備える準備段階……いわば各国が旗幟を明らかにするための活動と言えるのではないでしょうか。


今回は典型的な一例として、スロバキアの政策転換とEUの対応を柱にして文章を纏めてみようと思います。


ヴィシェグラード4ヶ国(ハンガリーポーランドチェコ・スロバキア)の一角として、またEU所属・ユーロ採用国として比較的中庸の立場を示してきたこの国が、このコロナ終息状況下で国家としての性格をEU寄りに組み替えており、更にこのスロバキアの姿勢を受け入れた事で、EU側のコロナ終息後の思惑も浮き彫りにしているのです。


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1. 香港国家安全保障法とスロバキア


thediplomat.com


2020/06/30、いわゆる香港国家安全保障法の施行に対し、国連人権理事会(UNHRC)にて27ヶ国が反対、53ヶ国が賛同の共同声明を発表しました。


※賛同の意志を示した国家は、後に70ヶ国以上に膨れ上がった(GlobalTimes紙より)とされています。全ての国家について声明の確認は出来ませんでしたが、それ程おかしな数字ではないでしょう。


元々当初の53ヶ国にはロシアやセルビアのように前年度のUNHRCでも中国のウイグル対応に賛同した国、或いは後日大統領補佐官がウイグル不干渉の立場を公言したインドネシア(JakartaPost紙)のような、明らかに今回も中国の立場に賛同するであろう国家群が含まれていなかったのですから。


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さて、今回の反対表明を行った国家群の多くは、実は前年ウイグルに関するUNHRC反対表明(なお後日イタリア・ポルトガル・スロベニアも加わったとのこと)にも名を連ねておりました。


前年の表明で入れ替わりがあったのは、


うちスペインについては、前外相のジュゼッペ・ボレル氏がEUの外務・安全保障上級代表の地位に上がり、単にスペイン一国の立場から意見を表明し難かった事、
また彼がスペイン外相の際、前政権に引き続き台湾国籍犯罪者の中国本土引き渡し(BBC)を行っており、その意味では今回の反対表明が、かつての措置の問題を露呈する事を恐れたのかもしれません。


ポルトガルは旧領マカオとの関係もありUNHRCの場での表明を控えた(MacauNews)可能性があります。


イタリアは……一応G7の連名で反対表明を行ったようですが、実際には首相・外相並びに閣僚自身による反対表明は行っておらず、怪しい状況です。むしろここはテレビ会議のような状況で(日経ビジネスより。此方はEU会議の話でしたが)中国寄りのイタリアを丸め込みG7内のコンセンサスを纏めたフランス・日本の折衝力を評価すべきでしょう。


※「G7の場でのみ反対表明を行い、UNHRCで行わないのはアメリカも同様」と語るブログ記事をどこぞやで見かけましたが、そもそもアメリカは2018年にUNHRCを脱退しています(BBC紙)


2020/07/30の中伊外相会談の場でもイタリア外務省HPでさえ香港に関する具体的な懸念表明内容を記述しえない程弱腰なイタリアについては、巷間の噂通りセルビアと並ぶ一帯一路の橋頭堡と考えて差し支え無いでしょうし、そもそもイタリアが中国側にシフトした理由も特に外交上の利害忖度やポリシーに拠るものではなく、単に外相ディマイオが旧政権時から乏しい交渉チャネルを好みで選んだ結果にすぎないと考えています。


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そして今年加わった4ヶ国、ベリーズマーシャル諸島パラオスロバキアのうち、前者3国は台湾との国交を継続しています。


ウイグルを中心に扱った昨年とは異なり、香港同様の立地条件にある台湾の立場に従った可能性が高いでしょう。

……一国だけ、純粋に国内的な問題で反対表明に加わったと思われるのがスロバキアです。というより実はスロバキア、前年から政権与党が完全に切り替わっていたのです。



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2. スロバキア政権交代


www.afpbb.com


2019年3月、当時の政権Smer-SDの支援を受けた対立候補を破り、ズザナ・チャプトバがスロバキア大統領となりました。


その後、彼女の人気或いは長年与党であったSmer-SDへの国民の消極的反感、或いは当時Smer-SDを実質牽引したペレグリニ首相が外交に注力せざるを得ない時期に立て続けに選挙が行われた事もあり、


https://www2.jiia.or.jp/RESR/column_page.php?id=355www2.jiia.or.jp

2019年5月末の欧州議会選挙ではヴィシェグラード4ヶ国でも唯一、政権与党が最大議席を失い


r.nikkei.com

2020年2月末のスロバキア議会選挙の敗北の末、遂に3/21にOL'aNO党のイゴール・マトビッチに政権を明け渡す事になったのです。


※その後、ペレグリニ前首相はSmer-SD党首であり彼を首相まで引き立てたロベルト・フィツォ氏と対立(Budapest business journal紙)、離党のうえ新党HLAS-SDを立ち上げるに至っています(TASR NewsNow紙)


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それまでの政権与党Smer-SDがEU以外の国、特に加盟国の一つハンガリー(Atlantic紙)が反EU色を強めているヴィシェグラード諸国、ロシア或いは2017年以降は中国(The Diplomat紙)との連携も重視して来たのに対し、現OL'aNO政権の特徴としてはEU寄りの「性格」を強めている事があります。


友好諸国の政策に同調する、というペレグリニ政権時代と異なり、相手国の人権問題や環境問題に応じて時には懸念を表明する(Reuters紙)事も辞さない態度。


これは従来スロバキアの象徴的立場に過ぎなかった大統領職、チャプトバの政治的性格と言っても差し支えありません。現行のOL'aNOマトビッチ政権に移行する前、チャプトバ大統領下のSmer-SDペレグリニ政権において既に環境政策を変更していた(TASR・NewsNow紙)ことも、その根拠の一つと言えるでしょう。


※むしろチャプトバ大統領と本来中道右派であるOL'aNO政権の間の火種として、避妊手術制限の問題コロナ検疫ソフトのプライバシー保障問題(共にBalkanInsight紙)があるのですが、とりあえずここでは割愛します。


このスロバキアの政策変更が、EU中枢国から強く歓迎されたことは想像に難くありません。何故ならスロバキアが所属するヴィシェグラード4ヶ国は、EUの束縛を嫌い自国の政策独立性を主張するポピュリスト政権の一角と目されていたからです。


ペレグリニ政権時代のスロバキアをポピュリスト政権というのも微妙な話ですが、国家の象徴であるチャプトバ大統領のEU型人権問題重視・環境重視的「性格」に従うスロバキアOL'aNO政権は、EUからの干渉を避けようとする独立型ポピュリスト政権と対抗しえる政治形態の雛型をEUに提供した訳です。


そしてOL'aNO政権は、EU中枢の意向通りに香港・ウィグルに関するUNHRCの反対表明に加わり、またコロナ状況下のロシア・フェイク情報に関するEU側の見解(EEASホームページ)に準拠するレポートを国防省が発表、更には中国からの医療支援に対してもペレグリニ政権期と逆の冷淡な対応(BalkanInsight紙)を行っています。


※実は後述するように、このペレグリニ政権末期の中国医療物資支援(Reuter紙)こそ、スロバキアをして欧州で最もコロナ被害を食い止めた国とした要因(Euroactiv紙)の一つなのですが。


……このようなスロバキア新政権の帰順に対し、EU中枢は充分な報奨を与えました。EU復興基金の資金配分です。



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3. EU復興基金の恣意性とスロバキア


www.jetro.go.jp


2020/07/21EU各国の紛糾の末、コロナウィルス状況下からの復興基金7500億ユーロと2021~2027年の次期中期予算計画(多年度財政枠組み:MFF)一兆ユーロ強からなる、復興パッケージの合意が成されました。


この復興パッケージの内訳や意義については、経済に強い方々の説明を待つとして……とりあえず7500億ユーロの復興基金について、原案時点での各国配分比率を確認すると面白い話が見えて来ます。


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http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/pdf/macro/2020/tanaka200622europe.pdfgroup.dai-ichi-life.co.jp


原案の復興基金配分について、イタリア・スペインが全体の約4割を占めていた事については多く報道されましたが、ヴィシェグラード4ヶ国に目を向けて見ると


……それぞれのGDP(2018年)を比較すると


GDP比率で考えれば、スロバキアの配分は4ヶ国中でも突出しているのが判ると思います。実際EU全体で見ても、スロバキアは上位5位に入っているのです(次点でポーランドが9位)。


失業率の面から見れば4ヶ国中では高め他3ヶ国が3~5%程度なのに比べてスロバキアは6%前後・Eurostatデータ資料より)ですが、それでもEU平均を維持しており、「経済的に不安定だから優遇」という理屈は通用しないでしょう。


またコロナウィルスによる感染被害では2020/07/30現在で感染者2245名 死者28名(News24特設サイトより)、隣国はもちろん欧州全体と比較しても最低レベルの被害を誇るスロバキアが、コロナウィルス被害からの復興を目的とした基金で優遇されるべき理由は本来無いと思われます。


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ところで、元々EU復興基金には下記の3つの点で各国の争点があったと言われています。
r.nikkei.com


1)復興基金の無償(grants)有償(loans)比率
https://www.fitchratings.com/research/sovereigns/eu-recovery-fund-is-step-towards-more-resilient-eurozone-23-07-2020www.fitchratings.com


2)復興基金授与国の「法の支配」問題
jp.reuters.com


3)次世代投資としてのグリーンディール
www.climatechangenews.com


前述の日経記事、或いは他の国内記事でも1)の争点ばかりクローズアップしており、有償比率を上げようとする倹約5ヶ国(オーストリア、オランダ、スウェーデンデンマーク及びフィンランド)とスペイン・イタリアが対立、前者へEU基金供出金の割戻しの便宜を計る事で妥協を引き出した……的な流れが強調されています。


しかし日本ではあまり報道されない 2)におけるハンガリーポーランド、或いは 3)におけるポーランドと倹約5ヶ国の全面的な対立こそが本来の図形です。


デンマーク(CPHpost)スウェーデン(JakartaPost紙)オランダ(IrishPost紙)フィンランド(NewsNowFinland紙)オーストリア(MacauBusiness紙)すべての宰相が今回の復興基金を人権意識・環境意識(及び財政規律)の再評価の場と捉え、EU的思想と異なる立場をとるハンガリーポーランドと対立していました。


5ヶ国は有償比率については比較的早い時期に妥結点を見いだしたものの、法の支配や環境投資の姿勢に応じて復興基金供与を調整するシステムを設置するよう、ギリギリまで粘っていたのです。


言い換えれば、倹約5ヶ国は復興基金を盾に法の支配やグリーンディールといった次世代EUの姿勢(NHK解説アーカイブより)に沿うよう加盟国に強制していた、という事です。


そしてこの時期に丁度、人権・環境意識に関するEU的思想に急速にシフトしたヴィシェグラード国家からこそ、スロバキアは経済規模やコロナ状況下のダメージに見合わない多大な恩恵を受ける事になったと考えられます。


EU的思想を共有している事を証明するため、更に対中観の踏み絵まで踏んだスロバキアは、まさに復興基金の目的“次世代のEU”の象徴だった訳です。


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4. 視点を変えて……EU自身は対中包囲網に参加していない


さて、ここで少々混乱をきたす話を記しましょう……スロバキアEU思想同調の証として対中観の踏み絵を踏ませたEUですが、実のところEU自身が中国との対決姿勢を示したのか、という点には微妙な回答しか出来ません。


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香港国家安全法に対するEUの対応案(EUホームページ)のうち具体的に行動に移されたもの、犯罪者引き渡し条約の中断それ自体は単なる中国側からの活動に対するカウンターアクションに過ぎないのです。海洋進出を通じ直接中国の干渉を受けている、イギリスを含む環太平洋諸国とは事情が異なり、EU諸国には中国そのものを掣肘する必要性が無いのです。


結局のところ、EUとしては中国自身ではなく中国の活動……それも香港国家安全維持法やコロナに関するインフォデミック発信だけでなく、保健外交そのものすら……に対する加盟国の視点を統一したい、という思いが最も強いのでしょう。


特に2020/03/14のEU非加盟国への医療供給制度の変更セルビアからの非難(BalkanInsider紙)反EU勢力のネット攻撃材料を提供した(Medium紙)轍を踏まないよう、EUの政策に同調する味方を集めること。


そして……ここが重要ですが、EUの政策に従わない親ポピュリスト的或いは独裁政権への掣肘(日経電子版・なお8/9予定のベラルーシ大統領選挙ではチハノフスカヤ女史が対立候補として名乗り出る(東京新聞)スロバキアと類似の状況が発生しています)という形で、ヨーロッパの思想的統合を謀ること。


極端な言い方ですが、中国による香港国家安全維持法のような直接的なものだけでなく、いち早く展開された保健外交それ自体がEUの思想に反する親ポピュリスト的・独裁的政権への助力となるからこそ、EU加盟国に中国政策への反対表明を唱えさせようとした、と考えられます。


EU諸国による対中観の共有とは、中国自身ではなく「反EUポピュリスト国家のツールとして使われる中国」という見方の共有であり、例えばスロバキアが対中観でEUとの認識を共有したと言うことは、スロバキアから反EU主義へのツールを遠ざける事だった訳です。


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その意味で、EUアメリカや環太平洋諸国を中心とした勢力とは距離をおいています。


上述のEU外交・安全保障上級代表Josep Borrellが自らのブログ


>米国や他の民主主義諸国との間で、私たちは対処しなければならない中国の行動の本質について多くの深い懸念を共有


しているとは記しても、米国や日本、インド、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどの対中包囲網には「参加」せず、寧ろ過去の安易な同調の結果


>中国について多くの点で米国に同意しているという理由だけで、私たちは最近、米国の外交政策に関して選択された方法が、EUに相談することなく、本質的に一方的なものであり、時にはEUの利益に実質的に有害であった


事に後悔の念を記しています。


自由、民主主義、人権、法の支配といった価値観を対中包囲網を形成する国家群と共有したとしても、この価値観に基づく国際秩序の負の部分、“一方的で有害な”米国の外交政策を許容していません。 


“一方的で有害”という非難に動じず対中包囲網を敷き得た米国のリーダーシップこそ、EUが今最重視している法の支配という価値観と対極にある、ポピュリストとしてのトランプの本質そのものだからです。


中国は勿論アメリカも、EUにとっては基本的価値観を「比較的」共有していない対抗勢力であり、本質的には共にEUの優先攻撃目標である域内ポピュリスト勢力の活力源なのです。

                   (了)



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※実はEUの思想的問題にはもう一つ、EU復興基金でもグリーンディールの形で取り上げられた“持続可能な(Sustainable)”成長戦略があるのではないか、と考えています。


この持続可能という言葉に付属した持続不可能な目標こそが、財政支援やテクノロジーまで含めた非人権的手法による中国の魔法を、ポピュリスト勢力のみならずそれに敵対するEUさえ最終的に受け入れざるを得ない理由ではないかと。


いつかはこの中国の魔法と、それをいわゆる“基本的価値観を共有する”国家にまで受け入れさせた中韓発のUHCやSDGsについて、文章を纏めようと思っているのですが……実はここ数ヶ月作業中なのですが……少々厳しいです。


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おわりに


……2020/08/05より、遂にコロナウィルス蔓延以降初めての茂木外相の外遊が始まりました。


www.mofa.go.jp


ここで面白いのは、各国がコロナ終息後を見据えた外交関係を中心に交渉を行うのに対し、あくまで茂木外相は(カウンターパートであるラーブ外相ではなく)トラス国際貿易大臣との経済パートナーシップ協議を外遊のメインと考えている事です。


トラス国際貿易大臣は最終的にCPTPPまで視野に入れ、既に日本の他ニュージーランド等との会談を行っており、日本としては6月のテレビ会談で一致を見なかった部分を含めた詰めの交渉を行う……という事だそうですが、記者会見での〆めの一言


>いえ、それはその昨日ラーブ大臣としっかりとお話をしましたので、今日はまさに交渉をしました


トラス大臣との貿易交渉こそが、コロナ蔓延期の保健外交で得点を上げられなかった自分の腕の見せどころであって、対中観の共有や安全保障に関する外相会談なんていつまたひっくり返されてもおかしくない『お話』レベルに過ぎない。


ここには各国が培った対中観を梃子に国際秩序に繋がる交渉を見いだそうとするのではなく、純粋にその活動だけから現状の中国や自国の対外能力を見据える、茂木外相のリアルな視点を感じ取ることが出来るのではないか、と思います。


……まあ実際、インドやサウジアラビアも通商やデジタル交渉を優先して外遊を行っていたのですが。

中国保健外交に対する2閣僚……危機感と焦燥

はじめに


河野防衛相と茂木外相。現政権において安倍首相と並ぶ対外活動の中核閣僚ですが、二人のアプローチの違いは多岐に渡っています。


コロナ状況下に展開された中国の保健外交に対し、彼ら二人がどのような反応を示したか。今回はその側面から、二人の性格の違いを辿ってみたいと思います。


……色々まとめるのに時間がかかり、防衛白書など話題となって久しい話を今更引っ張り出す形となっています。



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1. 令和2年度防衛白書と、保健外交という“ハイブリッド攻撃”


www.google.com


>政府は14日に発表した2020年の防衛白書で、新型コロナウイルスの感染が拡大する中での中国の動きを取り上げ、引き続き海洋進出を活発させているほか、偽情報の流布を含む宣伝工作を行っているとの指摘があると警戒感を示した


……毎度周回遅れですが。


防衛省が公開した令和2年度版防衛白書、その内で新型コロナ状況下の中国の活動に関して警戒感を示す記述が存在した旨、ロイター紙を中心とした各メディアが取り上げておりました。


具体的にはコロナ状況下に関する第I部第3章第5節のうち主に「南シナ海の現状変更と既成事実化」「偽情報の流布」をピックアップ、中国による火事場泥棒的な領土進出やフェイクニュース拡散による他国への攪乱工作を問題視する向きが多いようです。


しかし、前者については前年度の第I部第1章第2節(2)でも


>既存の国際秩序とは相容れない独自の主張に基づき、力を背景とした一方的な現状変更を試みるとともに、東シナ海をはじめとする海空域において、軍事活動を拡大・活発化させている


との記述が為されており、例え同様の行為がコロナ状況下で行われたとしてもおかしな事はありません。


また後者に至っては防衛省からの回答(詳細不明ですがStrait Timesの様な海外メディア向けの質疑の場だったようです)では「ウィルスがアメリカから中国に持ち込まれた」「漢方薬がウィルスに効果を持つ」といった、欧州対外行動局のレポート事例の中でもとびきり微妙な風説ばかりを取り上げただけです。


そもそも漢方薬についてのレポートNo.34の引用はすべて「抗ウイルス剤と漢方薬の併用」効果について触れたものであり、漢方薬自体に抗ウイルス効果がある旨を記したものではありません。


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※もっともこのような「馬鹿馬鹿しい偽情報についての懸念を発表」する事が、認識を共有する国家群に日本が加わった、という意味では重要なのかも知れません。ちょうど香港国家安全維持法への懸念署名にスロバキアが加わった時のように。


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さて、もし前回防衛白書からの表現の違いをクローズアップするのであれば、私が取り上げるのは2つ。


まず第III部第1章第1節のうち「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」(5)相互理解や信頼醸成を進めていく国々、


>中国やロシアに対しては、防衛交流の機会を通じ、わが国周辺における軍事活動の活発化や軍備の拡大に対するわが国の懸念を伝達することで、相互理解や信頼醸成を進め、不測の事態を回避することにより、わが国の安全を確保することとしている


一つ目はここです。前年度の記述では、防衛省としてはあくまでFOIPに所属する側、所属しえる側に対する友好的アプローチに限定しております。FOIPと異なる(対立する)側への懸念を伝えるという非友好的行為に“両者の相互理解や信頼醸成のため”という修辞を付ける発想はなかったからです。


この表現は、外相時代からの河野防衛相の考え方(第198回外交演説・外務省HPより)の基本に近いもので、防衛省にこのような外交主体的思考を導入した事は重要でしょう。


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そしてもう一つは、


>中国は、こうした国際貢献を通じ自国を取り巻く国際環境の安定化に注力することに加え、同感染症対策にかかる支援を梃子に、戦略的に自らに有利な国際秩序・地域秩序の形成や影響力の拡大を図りつつ、自国の政治・経済上の利益の増進を図っているとの見方もある(第I部第3章第5節・第3パラグラフ。太字強調は筆者)


……中国によるコロナ状況下の保健外交それ自体に「自由、民主主義、基本的人権、法の支配、国際法の尊重といった基本的価値に基づいた国際秩序」(この表現は河野防衛相が外相を務めた時代の外交青書に採用した表現ですが、河野氏が外務省を去った今年度版では変更されています)に対抗する秩序を形成する、その危機感を露わにしたということです。


かつて外交青書防衛白書双方で中国の国際貢献や支援そのものへの懸念を明記した事無く、悪名高い対アフリカ援助すら債務持続性の観点から債権・債務国両者の問題と論じ(外務省HP)、また前述のように一般的な軍事的懸念すら修辞のオブラートを使用した河野氏としては、防衛白書での中国保健外交への表現は極めて異例かつ直接的なものでした。


中国が国際貢献として展開した保健外交にはコロナ以前から問題があること、コロナ状況下でその性格が更に強まっていること。


そして河野防衛相がこれらを、防衛省では対処困難な(防衛省的に定義されていないため相互理解や信頼醸成のための懸念表明、という手段すら取りがたい)新形態の「グレーゾーンの事態」「ハイブリッド攻撃」であり、あらためて白書に危機感と共に明記したと考えられるのです。


そしてこのような中国保健外交の脅威に対し、河野防衛相よりストレートに苛立ちを示したのが、茂木外相でした。



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2. 外相会見での苛立ちと、日中保健外交の得失


www.mofa.go.jp


>すみません,コロナ後というのはどういう定義ですか。

>ごめんなさい。ちょっと意味が分かりません。

>そういう漠とした中で,全体のと言われても,非常に答えられないと思います。逆にどう答えますか。

>極めて答えにくい質問をしているということを,よく後で考えていただきたいと思いますが


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ふた月も前の話で申し訳ありません。6/16の外相会見において、朝日新聞・佐藤記者とのやりとりにおける茂木外相の発言を一部切り取ったものです。


実際の外相の回答内容、特に「極めて答えにくい質問云々」から後の発言は、コロナ状況下における日本の保健外交の要諦を十分に示したもので、誘導性の強い佐藤記者の質問を封じる素晴らしい返答と思われます。とはいえ今回はその内容より、発言者の感情に焦点を当てます。


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会見の場では冷静にいなす、繰り返しの回答を拒否する、あるいは不適切な質問に対して冷笑的な回答を行う茂木外相としては珍しく、記者の質問にナーバスになっています。これは7/3の会見でも一つの回答に「かつてないスピード」という言葉を三度繰り返した辺りにも垣間見られますが、保健外交の内容に関する質問に対し、外相は苛立ちの感情を隠せていません。この苛立ちの原因は、恐らくはコロナ状況下で日本の保健外交が国際的に理解されているのか、その不安ではなかったでしょうか。


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折しも佐藤記者による質問の前日(2020/06/18)、中国が主催する一帯一路国際協力ハイレベル会議(JETROホームページより)が行われています。WHO局長と共に(WHOホームページより)


このハイレベル会議の議題は主にコロナ終息期を見込んだ一帯一路加盟国の保健及び経済政策の連携ですが、このような連携の基礎となった……コロナ蔓延前から中国が展開していたのが、健康シルクロードと言われる中国型医療の国際協力政策です。


https://www.eastasiaforum.org/2020/05/26/covid-19-speeds-up-chinas-health-silk-road/www.eastasiaforum.org


……佐藤記者が日本の保健外交と比較するため担ぎ上げたオンライン診療。これこそ漢方薬と並ぶ健康シルクロードの看板、デジタルヘルス(共にMedium紙)です。


佐藤記者はコロナ蔓延期に有効性を発揮した中国のデジタルヘルス政策、またそれを昇華させた前日の一帯一路ハイレベル会議を念頭に入れ


>現場での人と人との協力ということに力を入れてきた日本の国際協力は,今後どうあるべきかということで,ご所見をお伺いできたらと思います


と、質問の形をした日本保健外交への揶揄を行っていた訳です。


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この佐藤記者の揶揄に対し苛立ちと怒りを隠せなかったように、茂木外相率いる外務省のコロナ保健外交やその理念は、残念ながら他国からの感謝や賛同をさほど受けないものであったと思われます。


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※この状況表出の代表といえる2020/07/09日メコン外相会議(外務省HPより)に関しては、後日改めて文章をまとめる予定です。

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勿論外相としては、保健外交を通じて中国あるいはEUのような政治的干渉まで求めていた訳ではなかったでしょう。河野防衛相の立場と異なり、茂木外相は特に中国と保健外交で得失差を争う必要が無く、相手国への影響力のみを絶対評価と出来るのですから。


※もちろん本質的には、例えばオンライン診療等での情報管理面でDFFT(官邸HP)を提唱する日本とコンフリクトがあるように、中国保健外交は日本外交そのものと対立していますが、少なくともこの点をコロナ状況下でわざわざ競う必要は無いのです。


とはいえ終息後の相手国が国際活動を再開するに際し、何らかの影響力を残す狙いは少なからずあったと思われます。6月までの外交活動の殆どは、コロナ状況下の各国支援に費やされていたのですから。


オンライン診療・医療機器提供のような特定部門に突出しない包括的な保健外交をアピールし、その根底にあるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ等日本独自の取組み……昨年度G20大阪サミットで提案した持続可能かつ透明な国際連携を、コロナ終息後に展開するための手応えさえ確かめられればまず合格だったのでしょう。


しかし、遠隔医療・漢方薬・不足した医療機器提供と、IT技術を導入した社会隔離政策からなる“魔法的”保健外交を展開する中国の陰で霞む形で、日本保健外交への理解は遂に得られず、ただ各国への提供金額のみがクローズアップされる状況となっていました。


もちろん、現状をみる限り中国側の狙いがうまく行ったとは思えません。しかしそれを逆手に取る形で、相手国が中国側の“魔法的な”医療・経済支援を受けること=米中対立時に中国寄り姿勢を取ることだけでなく、中国側に準拠した社会システムを受け入れることのアピールには成功したと思われます。


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※例えば中国の支援に依らない国家ですら、中国準拠の「医療対策としての社会システム」ロックダウンや社会隔離政策を採用しています。効率的な隔離政策実施のため、実績ある他国のITシステム採用を検討させる、とか言い出せば試合終了ですよ。


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このような中国保健外交のずぶとさ、陰に隠れた日本保健外交、そしてこの中国保健外交を手本として日本を揶揄するマスコミ達に対し、茂木外相は今後への危機感ではなく実利の面からストレートな感情を露わにしたのではないでしょうか。



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おわりに: 二閣僚の差……国際秩序連携への信頼


さて、この二閣僚の態度の違いについて、私は「基本的価値に基づく国際秩序を共有する国家間の連携」に対する信頼の違いではないかと考えます。


外相時代、また防衛相就任後も各国カウンターパートと会談を通じ「基本的価値に基づく国際秩序を共有する国家間の連携」強化に努めた河野防衛相。


国際秩序を共有するはずの国家群と交渉とせめぎ合いを重ねる経産相・特命相のキャリアを持ち、コロナ以降初の外相会談における対中連携確認すら「お話」と断ずる茂木外相。


およそ中国に対する視点は同じでも、その感情の表し方はキャリアの違い、特にキャリアで培った国際秩序を共有する国家が連携しえるのか、その認識の違いといえるのではないでしょうか。



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2020年版外交青書:『普遍的価値』への回帰

はじめに


2020年版外交青書・要旨(外務省HPより)


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5/19に外務省HPに、今年度版の外交青書の要旨が掲載されました。とはいえ、今年の青書については皆さん今いち関心が薄いようです。


現状全世界が新型コロナの影響下にあり、各国の外交が今後の国際情勢に向けたアイドリングと牽制の状態にあります。青書の形で記された外交方針は、今後の国際情勢に応じて大幅な変更を余儀なくされるでしょう。


それ故に、今後の茂木外交を2020年版外交青書から推測するのは、およそ的外れで危険な行為ではないか、と多くの方々が考えたのではないでしょうか。


……でもそういう世間に逆行する形で、私はあえてこの2020年版青書から、ひとタイミング前の茂木外交をほじくり返してみようと考えました。死んだ子の年を数えるような不毛な行為が、私は大好きなのです。


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1. 「基本的価値」から「普遍的価値」へ


一般的には、韓国について「重要な隣国」という表現が復活したことや、台湾のWHOオブザーバー参加への支持、また北方四島への言及を改めて行ったことなどが指摘されているようです。

www.google.com


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※まあ韓国については、茂木外相の5/19会見(外務省HP)


〉個別の記述についてどうだということよりも,全体のトーンとして,今,日本の外交がどちらの方向に向かっている,こういう観点で,是非ご覧いただきたい


中央日報の記者に語った通り、今回の要旨ではどのような方針で韓国に対応していくか、日本側の方針に全く言及していないことの方が重要ではないかと。


……というより「重要な隣国」という一国を表現する単語ひとつをもとに、対韓外交の姿勢を読み取るスタイルは、一昨年辺りをピークに下火になっているかと思います。


そりゃ昨年の記者会見でも

www.mofa.go.jp


東亜日報 金記者】外交青書に戻りますけど,日韓関係の部分について,「未来志向」という表現が消えましたけれども,この部分について説明していただければ幸いです。

【河野外務大臣】「未来志向」が消えた?(以下略)


……こんなやりとりがあれば、単語ひとつの言葉尻をもとに(実際の外交内容はもちろん青書に記載された内容すら碌に目を通さず)国家間の外交を語ることのバカバカしさを皆さん悟ったことでしょう。



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さて、個人的には冒頭の一節こそが今回の最も重要な変化ではないか、と考えています。


〉日本が政治、安全保障及び経済上の国益を確保し、自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値に基づいた、日本にとって望ましい国際秩序を維持・発展させていくためには、国際情勢の変化を冷静に把握し、その変化に対応しながら、戦略的に外交を展開していく必要がある。


……昨年度の外交青書では


〉日本が政治、安全保障及び経済上の国益を確保し、自由、民主主義、人権、法の支配、国際法の尊重といった基本的価値に基づいた、日本にとって望ましい国際秩序を維持・発展させていくためには、国際情勢の変化を冷静に把握し、その変化に対応しながら、戦略的に外交を展開していく必要がある。


だったのですが、

  • 基本的価値から普遍的価値へ


と二つの点で、表現を変更しています。


………………………………………

実はこの冒頭部分、2016年版外交青書から原則同じ文面で続いているのですが、2018年版より「普遍的価値(UniversalValue」の言葉が「基本的価値(FundamentalValue)」に変わり、更に2019年版で初めてその要素に「国際法の尊重」が加わりましたが、これは当時岸田元外相から河野前外相に交代した事が理由と考えられます。


2018年版以降、続く『情勢認識』の冒頭で


〉日本を含む世界の安定と繁栄を支えていた自由、民主主義、人権、法の支配(2019年版では“国際法の尊重”が加わります)といった基本的価値に基づく国際秩序が挑戦を受けている。


という文面を加えたことと共に、河野前外相の国際情勢の認識あるいは理念を表明していた、と推測出来るのです……が、2020年版では「国際秩序への挑戦」という表現そのものは変えないまま、その構成要素を2017年版以前のものに戻した形となっています。


ただしこの「普遍的価値」への回帰は、単に河野前外相以前の表現に戻したというだけではなく、茂木外相による“特定対象に向けた”新外交の表出ではなかったか、と思われるのです。



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2. 対露外交と「国際法」記述の消去


実のところ、基本的価値や国際法といった記述に関しては、日本が想定する国際秩序の側に属さない陣営から非難があります。その代表がロシアです。


www.mid.ru


〉残念ながら、多極的でより民主的な世界の出現を好まない人々は、このプロセスを妨害しようとします。あなたが気づいたなら、私たちの西洋の友人は国際法の言語を使うことがますます少なくなっています。代わりに、彼らは法の支配に基づく国際秩序と呼ばれる新しい概念を生み出しました。
(第7パラグラフの一部より拙訳)


……ロシア・ラブロフ外相によれば、国際社会は

  • 国際法、あるいは現行国際法の規範となる国連憲章に則った領土問題の解決や、内政不干渉の原則のもと自国の権利を“正当に”行使する国家と
  • 新たな国際秩序を唱えることで国際法国連憲章を軽視し、更に他国への干渉を行おうとする一握りの国家


この両者による対立下にある、と定義しているのです。言い換えれば、国連が生まれた第二次世界大戦直後の状況こそが遵守すべき国際法の規範であり、どのような言い分にせよそれを動かす事こそ本来の国際秩序への挑戦である、と主張している訳です。


それ故に220年版青書では、彼らに揚げ足を取られかねない「国際法の遵守」という表現を避け、また譲歩の余地がない印象を与える「基本的(Fundamental)価値」から、「普遍的(Universal)価値」に表現を切り替えることで対応の柔軟化を図ったのではないか、と考えられるのです。


……………………………………

事実、今回の青書の記述……「北方四島の帰属」という表現の復活に際し、ロシア報道官が噛みついて来た一件があります。


www.mid.ru

 
〉千島列島に関する全ての法的主権は、国連憲章を含む国際法的文書に基づき、第二次世界大戦の結果としてロシア連邦に属します。そしてこの事に異議を唱えることはできません
(下の方、記者との質疑応答3つめ)


WW2により常任理事国の地位を手に入れた国連の権威を、そのまま領土主権の後ろ盾とする論理は、一般的には北方四島の主権を主張する際の伝統的手法と受け取られております。


しかし、実は国連や国連憲章の活用は領土主権だけではありません。今回の彼女の論理はそのまま上述したラブロフ外相の論理なのです。国連の権威と内政不干渉の原則を盾に、諸外国への進出の正当化を図るというロシア或いは中国……「法の支配に基づく国際秩序」への挑戦を主導している国家特有の基幹論理に従っているのです。


そしてこの論理は、北方四島の帰属問題のような二国間関係で自らの正当化を図るだけではありません。寧ろ新たな国際秩序を作ろうとする欧米中心の国家群に対抗するため、国連憲章国際法に基づく内政不干渉や発展途上国優遇を武器とする国家群を形成するのに有効な論理なのです。


つまり、この二つの論理による闘争のメインフィールドは北方四島のような二国間交渉ではなく国際協議の場、たとえば国際貿易の協議の場であるWTO改革になると考えられるのです。


国際協議で二つの陣営が論理を競う場合、いかに中立の国家を引き込むかが重要になります。事実、ラブロフ外相は「法の支配に基づく国際秩序」は発展途上国優遇措置の見直しを迫るものだと主張し、WTOでの途上国取り込みを図っております。


中立の国家を日本側に引き込み、WTO改革など国際協議の場を有利に進める。その一点に目標を絞るなら、相手国の民主化支援や国際秩序への理念面の賛同を求める事すら、彼らの取り込みへの障害となりかねません。


それ故に、今回の外交青書で表現を緩めたのは、中露との二国間関係への配慮というよりWTO改革という果実を得るためあえて国際的対立の旗頭となる「基本的価値」という言葉を排除、中立国や対立相手国との妥協を図ったものと思われるのです。


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……とはいえ青書に記された日本外交像は、アフターコロナ時代に継続されえるものか、と考えると少々難しいです。寧ろ高度な柔軟性を維持しつつ行き当たりばったりで頑張って欲しいところてす。



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※なお2020年版青書の要旨では、WTO改革についてはそれほど重要な記述はされておりません。茂木外相自身が記者会見で語ったように、外交青書は2019年の国際情勢や外交を示したものだからです。外務省HPにおける連載企画が始まったのと同様、WTO改革に向けて活動を具体化したのは、原則青書の対象外となる2020年からなのです。

同様に、茂木外相が独自の外交方針として打ち出した「包容力と力強さを兼ね備えた外交」について、要旨では全く触れられていません。これも今年1月の第201回国会外交演説で、初めて公式に発表された概念だからです。



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おわりに. ダビデ像の例え


www.mofa.go.jp


ところでこのロシア報道官の発言に対し、朝日新聞記者より記述変更の理由についての質問がありました。これに対し、茂木外相はあらかじめ

  • 領土問題を解決して平和条約を締結するという基本方針は以前から変更していないこと
  • 外交青書の記述はその年度の国際情勢を踏まえた日本外交の概要を記したもので、全体像としての日本外交を見ることが基本的に重要


と前置きした上で、謎めいた例示を示します。


ミケランジェロダビデ像,これを見ると,頭部が大きいんですね。左の膝は若干小さいんだと思います。それは下から見上げたときに,いかにリアルな人間の姿に近いかと,こういうことで天才ミケランジェロが描いているわけでありまして,そこで頭が大きいとか膝が小さい,こういう議論より,いかにこれが人間というものをリアルに表しているかと,こういった形で見るのが正しい見方だと思います。


この例示に対し、朝日新聞記者は

  • 日本外交の全般についての比喩
  • 日露関係に関連する記述に関わらず、日本の立場に変化はない


と、外相の前置きそのまま、まるで青書での記述の違いが日露外交の方針と無関係であるような解釈を行いました。この朝日新聞側の解釈について、外相側も特に否定はしていません。


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……しかし、この解釈には疑問が残ります。


ミケランジェロは鑑賞者から見た全体のバランスをリアルに表現するため、意図的なデザインを選択しました。外交青書の言葉一つ一つが同様の意図を持っているならば、日本外交の全体像をリアルに表現するため、深い意図を持ってその言葉一つ一つを選んだという事ですから。


そして日本外交のリアルな全体像とは、二国間関係だけではありません。日本が世界各国に働きかけている外交方針と、同様に相手国が各国に展開している外交の接点や齟齬、それらの複合体であることを念頭に入れて把握すべきものなのです。


朝日新聞その他、外交青書の表現一つの変化に騒ぎ立てた多くの人々の問題は、その変化一つから当該相手国との二国間外交方針を覗き込もうとした事でしょう。ダビデ像の例えは、その年ごとの表現の変化は二国間外交方針ではなく、日本外交全体の方の変更を見るための鍵だという事ではないでしょうか。



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今回の文章は、ある程度第201回国会における茂木外相の外交演説を参考にしています。もし宜しければ、そちらについて記した文章もご覧頂ければ幸いです。

tenttytt.hatenablog.com



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本当のおわりとおわび


……すみません。前回まで続いていたWetMarketの話は一旦休みです。本当はそちらの話を優先して書き上げるべきなのでしょうが、実は外交青書を読んでたら気が付いた事がありまして……


tenttytt.hatenablog.com


NDPIってなんだよNPDI(Non-Proliferation and Disarmament Initiative)じゃないかぁぁ!これだからスマホの予測変換はぁぁぁあ(八つ当たり)!!

謹んでお詫びと訂正いたします。

中国のWet Market衛生政策(5)

『中国のWetMarket衛生政策(4)』の続きとなります。

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5: もう一つの衛生危機・漢方薬の混乱


……ぶっちゃけ真偽なんてどうでもいい話ですが、『中国のWet Market衛生政策(1)』では個人的な見解として、感染源を夜明砂のような漢方薬に求めました。

これは初期の研究で、今回の新型コロナが湖北省に生息していない蝙蝠のウィルスとDNAが近い、という事からの推論に過ぎませんが、実は漢方薬の小規模業者に食品業者以上の問題があった事も念頭においています。


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5-1: 漢方行政の二重構造と、CFDAの暗闘


第4章で私は、Wet Marketの食品衛生政策が2020年初周辺を機に劇的に悪化したとは、微妙に考えにくい旨を記しました。

食品産業では例え衛生政策を担うCFDA(国家食品医薬品監督管理局)が2018年にSAMR(国家市場監督管理局)に吸収され、Wet Marketを構成する小規模業者への政策に齟齬を来したとしても……地方機関がWet Marketを自らに取り込むCFDA時代の政策を維持するのであれば、そこでの衛生面の逸脱は都市計画の範疇で行われているであろう、と考えたためです。


しかしCFDAの管轄したもう一方の医薬品部門では、NMPA(国家薬品監督管理局)への再編を機に、Wet Marketを構成する“小作坊”小規模業者が政府などの規制を逃れ暗躍する舞台が、特に漢方薬半原料(中薬飲片)市場で急速に整えられてしまいました。


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2015年2月以降CFDAは、質量ともに医薬品供給を安定させるという政府上層部の要望に応えるため、医薬品全体の品質調査に関わる政策を矢継ぎ早に打ち出しました。

  • 滞っていた新薬承認のスピードアップを筆頭に
  • MAH制度により医薬品の委託製造販売に活路
  • 医薬製造査察を抜き打ち調査中心に移行
  • 誇大広告防止のためのガイドライン作成etc.


新薬承認の処理遅滞を従来の4割に削減した事や、「7/22の虐殺」と伝えられる厳しい臨床試験の実施など、それまで停滞したCFDAの医薬関係業務を革命的に進展させたと言われています。


しかしWHOによると年間600億ドルの独占市場、それも年間11%の成長を続ける漢方薬は、医薬品の中でも特別な地位にありました。


中国政府はこの巨大な市場を育成、また国際的な品質水準に合致させるため、2017年には『中華人民共和国中医薬法』(以下中医薬法)を更新。2019年に更新された医薬品全体の品質管理を包括する『中華人民共和国医薬管理法』(以下医薬管理法)の更新と合わせ、CFDAにその製造統制を委託しました。


CFDA主導による漢方薬への取締りも厳しく、結果として2016~2018年の間に、検定不良件数も4割減少したと言われています。


しかし製薬会社を中心とした流通経路を抑える都合上、通常の医薬品統括ではCFDAが実質的な主管機関となっていたのとは状況が異なり、漢方薬にはCFDAが構造改革まで行い得なかった問題がありました


漢方政策の根本には、CFDAの統制力も及ばない領域が存在したのです。


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実は漢方政策そのものは政府中枢によるバックアップのもと、厚生労働省に相当する「国家衛生計画生育委員会(2018年に国家衛生健康委員会に名称変更。当時の略称不明のため、以下は現行の略称であるNHCを使います)」及びNHCの直属組織にあたる「中医薬管理局(当時SATCM、現在NATCM)」が支配的な地位にあったのです。


中医薬法第5条においても、


〉第五条 国务院中医药主管部门负责全国的中医药管理工作。国务院其他有关部门在各自职责范围内负责与中医药管理有关的工作。
 
〉第5条 国務院の管轄下にある漢方薬の管轄部門は、国中の漢方薬の管理工作に責任を負う。国務院の他の関連部門は、それぞれの責任の範囲内で漢方薬の管理に関連する作業に責任があります。


……この第5条に明記されているように、元々漢方そのものの戦略を担うSATCMが主管であり、CFDAはその製造販売業者や品質管理の責を負いましたが医薬品同様の積極的な管理政策までは行えなかったのです。


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いえ、CFDAは品質管理の根本たる製造部分でさえ、過去の政策を更正する事すら出来ませんでした。その象徴とも言えるのが、病院での処方準備について記された中医薬法第31・32条です。


〉第三十一条 (前略)医疗机构配制中药制剂,应当依照《中华人民共和国药品管理法》的规定取得医疗机构制剂许可证,或者委托取得药品生产许可证的药品生产企业、取得医疗机构制剂许可证的其他医疗机构配制中药制剂。委托配制中药制剂,应当向委托方所在地省、自治区、直辖市人民政府药品监督管理部门备案(後略)

〉第三十二条 医疗机构配制的中药制剂品种,应当依法取得制剂批准文号。但是,仅应用传统工艺配制的中药制剂品种,向医疗机构所在地省、自治区、直辖市人民政府药品监督管理部门备案后即可配制,不需要取得制剂批准文号(後略)


〉第31条 (前略)漢方薬を準備する医療機関は、中国薬品管理法の規定に従って医療機関の準備ライセンスを取得するか、医薬品製造ライセンスを取得している製薬会社、および準備ライセンスを取得している他の医療機関に委託するものとする。 漢方薬の準備の委託は、委任する当事者が所在する中央政府直下の省、自治区、または自治体の人々の政府の薬物監督および管理部門に対して提出されなければならない(後略)

〉第32条 医療機関が準備する漢方製剤の種類は、法律に基づき、製剤承認番号を取得しなければならない。ただし、伝統的な手法で処方された漢方製剤のみ、医療機関が所在する省・自治区自治体の薬事部に申請することで、製剤承認番号を取得せずに調剤できるものとする(後略)


2017年当時、医薬品には製造を他社に委託するには法的な障壁があり、簡単に申請出来るものではありませんでした。これは後に2019年薬品管理法によるMAH制度として解消されるのですが、話が外れるので深くは触れません。


しかし漢方薬については、医療機関が取得する準備ライセンス(本来は自らの医療機関で提供する医薬準備のためのもの)があれば、他の医療機関漢方薬製造を受託する事が可能になっています。一般的な医薬品は長い間製造委託制度が認められなかった一方、漢方薬については特別扱いしている訳です。


更に理論上は、同法15条で治療内容の申告が必要な漢方医療所は自己の申告した医療業務しか製造委託の申告を行えない、つまり自己の医療業務対象外の漢方薬は製造委託を許可されない事になっています。


しかし、この医療業務申告の管轄がSATCMの上流にあたるNHC、製造委託申告の管轄がCFDAとなっており、更に委託申告時には当該医療機関に対する見解をNHC側から受け取る仕組みとなっています。


32条における製剤承認番号(MAH制度以前の医薬品は委託する一種類ごとに申請、承認番号を得る必要がありました)に関する漢方薬の例外措置もあり、極端な話CFDAが委託申告時に製造工程や設備の不備を問題視したとしても、NHC側の口利きによって自由に漢方薬を委託製造できる構造となっていたのです。


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また、最新の2019年薬品管理法でも、


〉第六十条 城乡集市贸易市场可以出售中药材,国务院另有规定的除外。

〉第60条 国務院の別段の定めがない限り、都市部と地方部の貿易市場は中薬材を販売することができる


という一節(2001年版では第21条が相当)があります。医薬品への厳しい販売管理とは対称的に、

  • 中薬材(つまり漢方薬原料。形状処理を行ったものでも中薬材と主張できる)扱いで
  • 或いは中薬飲片(病院等での臨床使用可能な処理を行った中薬材。形状として中薬材であり、仕入れた病院での処方として漢方製品と言える)を中薬材扱いで


市場で販売することについては法律で許可されていました。


そしてこれが小規模製造業者……それも専門市場(実は武漢にも3駅ほど離れた場所に、漢方薬専門の市場があるそうです)であろうとWet Marketのような場所であろうと、中薬材あるいは中薬飲片を製造販売するための一助となっています。


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※少し話が外れますが、この貿易市場における中薬飲片の販売容認のスタンスは、第4章に記した2015年食品安全法と対称的です。


食品安全法や関連省条例において、CFDAはトレーサビリティ義務等の減免を認めた小規模業者専用の特別許可枠を設定することでその取り込みを図ったのですが、薬品管理法では営業規模を問わないトレーサビリティ義務を強要しています。


この違いを食品と薬品の品質重要性の差に求めるのは正しくないでしょう。特例的立場の存続を求めるSATCMの要望に屈し、このルートでの現実的な漢方薬品質管理をCFDAが諦めていたと解釈するのが自然だと思われます。


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5-2: CFDAの衛生橋頭堡


……ただし逆に、CFDAはNHCやSATCMに対して大きく譲歩しながらも、粘り強くCFDA主導の漢方薬統制を達成するための橋頭堡を築いていったとも言えます。


中医薬法31・32条でも、NHCの干渉があるにせよ、CFDAは漢方製造設備に対して自らの管轄機関・自らの基準で審査を行う旨、明文化出来ました。


薬品管理法第60条についても、古い医薬管理法や条例を根拠に行われていた慣習を改めて明文化した、という意味もあるでしょう。


何より、上記の優遇措置による危険性は残しながらも、特別に言及された事項以外は通常の医薬品と同様の監督権限を確保、最終的には後述する中药品种保护条例(漢方薬保護条例)によって、漢方薬の管理管轄の多くをNATCMからNMPAへと委譲する事に成功しているのですから。


………………………………………

CFDAの漢方薬に関する最大の橋頭堡は、恐らくは2017年10月に発表された『关于深化审评审批制度改革鼓励药品医疗器械创新的意见(審査承認制度の改革の深化と医薬品・医療機器のイノベーションの促進に関する意見)』の第13章でしょう。


〉中药创新药,应突出疗效新的特点;中药改良型新药,应体现临床应用优势;经典名方类中药,按照简化标准审评审批;天然药物,按照现代医学标准审评审批。

〉革新的な伝統的な漢方薬は、治療効果の新しい特性を強調する必要があります。改善された新しい漢方薬は、臨床応用の利点を反映する必要があります。古典的および有名な漢方薬は、簡略化された基準に従ってレビューおよび承認される必要があります。自然薬は、現代の医療基準に従ってレビューおよび承認される必要があります。


……2017年6月後述する医薬品規制調和国際会議(以下ICH)へのCFDA参加(厚労省HPより)で国際標準に向けた国内調整に着手した事と合わせ、流通漢方薬の取締りに拍車をかけたわけです。


………………………………………

……このような粘り強い政策を行い得たのは、2015年2月からCFDAの局長を務めた毕井泉の実力であると、当時の複数のメディアが認めています。彼以前のCFDAは、漢方薬についてはまるで聖域のように、その国際的地位向上に協力する旨の発言しかしておりません。それだけ彼の存在は異色であり、医薬品や食品まで広い視野でCFDAを牽引したと考えられます。


またNHC副主任として出向し両局のパイプ役となった医薬品管轄の副局長吴浈の存在があり、同じくNHC副主任として出向し中国政府の漢方政策を牽引した実力者、SATCM局長王国強に対抗出来たことも大きかったのではないか、と私は推測しています。


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5-3: CFDAの解体と、NMPA・NATCM体制


しかし2018年3月のCFDAの解体と、それに続く同8月の「長春長生ワクチン不正事件」引責問題の中、毕井泉・吴浈は両名ともその影響力を完全に失う事になります。一方当時SATCM局長であった王国強も2018年3月にその座を失いました。


漢方薬政策はNMPA新局長に就任した前CFDA副局長(主に医療機器・器具管理管轄)焦红と、NATCM新副局長の余艳红及び前副局長から局長へと繰り上げられた于文明らの手に移ることとなりました。


※なおこの長春長生ワクチン不正事件の関与を問われ、吴浈は2019年2月に党除籍という重い処分を受けています。とはいえ彼の失脚は既に2018年3月CFDA解体の時点で決定付けられており、事件への関与は(例え拙速な認定許可を打ち出した責任者だ、と糾弾されたとしても)単なる後付けの理由に過ぎないと思われます。


business.nikkei.com


もっともこの人事をもってCFDAの後進たるNMPAの能力が殺がれた、あるいはそれまで継続した革命的な医薬品質管理政策を変更した、とは言い切れません。


例えば2018年8月末には中药品种保护条例(漢方薬保護条例)によって、漢方薬の管理監督をNHCからNMPAに委譲する旨、規定を改正しています。


また、CFDA時代から検討され続けたMAH制度や査察システム変更を盛り込んだ医薬管理法は、2019年にNMPAの手により発効されたものです。


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むしろありえるとすれば、NMPAとNATCMで業務の棲み分けと、コンフリクトが発生した際に後者が舵を取る旨の了承がなされたことでしょう。


www.covingtondigitalhealth.com


〉2018年9月14日、国家衛生健康委員会(「NHC」)と国家中医薬監督局(「NATCM」)は、インターネットベースの医療サービスと遠隔医療に関する3つの新しいルールを公式に発表しました(中略)

〉e-ヘルスケアルールはe病院と遠隔医療サービスに必要なハードウェアとソフトウェアの技術仕様を概説しています。しかし、過去3年間にデバイスソフトウェアとモバイル医療アプリケーションに関するガイドラインをリリースしてきた国家薬品監督局(「NMPA」)は、今回使用するハードやソフトを医療機器として登録する必要があるかどうかについて、明確なガイダンスを提示していません


……医薬品同様に医療機器を監督するNMPAの承認を待たずに、NHCやNATCMがネット医療に伴う医療機器を推奨しているのです。


NMPAでは2019年1月にパブリックコメント収集より着手、今年末までに新たな品質や調達などの基準設定を行う予定とのことで、この件では明らかにNHCとNATCMの先行発表に振り回された状況となっています。


http://www.nmpa.gov.cn/WS04/CL2102/334367.htmlwww.nmpa.gov.cn


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漢方薬から少し離れますが、更に極端な例が昨今話題となった中国からの不良マスクや検査キットです。


www.bbc.com


〉オランダの保健省は28日、中国製のマスク60万枚をリコールしたと発表した。これは今月21日に中国のメーカーから届いたもので、すでに最前線で治療に当たる医療チームに送られていた。

〉オランダ当局は、これらのマスクは品質認証を受けているものの、きちんと装着できず、フィルターも機能していないと説明している


中国からの医療品については、もともと認可を得ていない業者によるものもありましたが、実のところNMPAがこれら基準未満の医療品に対し、緊急承認を行ったことも大きな理由となっていたようです。

https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=http://www.gov.cn/xinwen/2020-02/28/content_5484308.htm&ved=2ahUKEwj_q5-l9PHoAhUBGaYKHW3VD9UQFjAAegQIAxAC&usg=AOvVaw13D3V5G1ru6ani8Mx0L2Wpwww.google.com


〉NMPAの副局長颜江瑛は、薬物と医療機器の緊急承認のためのグリーンチャネルを(新型コロナ)発生以来緊急に開設し、企業による生産と転換の再開と製品の迅速な上場を促進し、緊急事態の防止と管理資料の必要性を確保していると述べました


これもやはり政府中枢の指示に振り回された末、NMPAが自らの本分を見失い、流通品の品質への責任を放棄したことの現れだと思われます。


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さて、一方のNATCMはその地位を著しく向上させました。


特に今回のコロナウィルス対策では、NATCMは西洋医学と漢方を並立させた治療を前面に押し出しました。現在では軽症患者に対する漢方薬の効力は、社会隔離政策に並ぶ中国謹製の魔法的疫病政策の一つの顔となっています。


なおこの「漢方薬を治療に加える」方針の採用は、実際の新型コロナへの先行治療実績により有効性が確認されたからではありません。2020/01/23武漢の社会隔離決定の時点で、既に採用は決定していたのです


www.gov.cn


……まあ、新型コロナ発生以降のNATCMの行動内容はともかくとして、その態度とNMPAとの関係性は一つの指標となるのではないでしょうか。


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5-4: 中薬飲片業者側の背景


……少々行政面に話が傾きすぎ、時系列もズレてしまいました。小規模漢方業者に話を戻します。


元々漢方薬、特に中薬材や中薬飲片と呼ばれる原料に近い形態の品質には、小規模業者による製造不良の問題がありました。


近代工業的製法で再現しがたい薬効を引き出す伝統的手法の存在や、コスト面に付け込んだ本来の製造手順に則らない小規模製造業者の介入は、長大で複雑な流通過程を通じた成分劣化と並び、漢方薬の品質問題に大きな影を落としていたのです。


2016年から2018年の漢方薬検定不良数のデータでは、漢方材料(中薬飲片や中薬材)の占める率は65%→76%と急激な増加を示しています。


もちろんこの数字には意図的な粗悪品製造だけでなく、成分不足による不良品認定を含んでおります。またCFDAの取締りの結果、前述したように2016年以降順次不良総件数自体が4割も減少しています。その意味で、この数値自体からはそれほど深刻な問題は表面化していないと思われます。


問題が浮かび上がるとすれば、せいぜい不良品認定のうち中薬材・中薬飲片といった原料に近い部門で品質改善のペースが鈍いこと位でしょうか。


寧ろ問題なのはこの資料が暗示していること……品質改善ペースの遅さがそのまま“小作坊”原料部門での小規模製造業者の存在を示していることと、小規模であるが故に事前の指導が困難であること。

そして何より、このような不正規の小規模業者では衛生的な製造設備など恐らく考慮されていないことです


……………………………………

更にこれら漢方原料の衛生監督は実質省の管轄であるうえ、省レベルの条例では内容に細かい差異がありました。それ故に、例えば不良品の自省での販売は禁じられても他省への輸送について具体的に禁じられていない、といった事態もあったようです。


今回のメインターゲットとなる時期より少し前ですが、2013年には安徽省から送られた基準を満たさない漢方薬原料(中薬飲片)が、湖北省に運ばれて複数の医院で使われた、という事件があります。


通常の医薬品はもちろん、いわゆる中成薬として完成された漢方薬と比べても、中薬飲片には表に出がたい流通があった訳です。


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5-4: CFDAが誘発する、中薬飲片業者のモラル崩壊


そして、品質とモラルを崩壊させるのに十分な時限爆弾が、このCFDA解体期の小規模漢方薬業者に仕掛けられておりました。


一つ目は、CFDA時代の厳しい品質管理政策です


国家統計局の資料によると、国家主導による漢方産業の伸び率は2011年の3割増(中薬飲片業者は6割増!)をピークに、2015年以降は10%台に低下。特に医薬品市場での漢方占有率が2015年以降約十年ぶりに前年より低下する事態に陥っています。


これはCFDAによる製造規範認定や抜き打ち検査強化が影響したとされています。


そして……これは露骨な数値ですが、CFDAが機能していた2015~2017年までの中薬飲片産業の営業利益と比較して、NMPAに組織変更された2018年のそれは著しい増加を見せているのです。


…………………………………

二つ目は、漢方を含めた中国伝統医療の低価格問題です


中国政府は伝統的に、医療の安定供給のため医療費や医薬品全体の価格を低く抑える政策を続けて来ました。


2015~2017年当時でも、ジェネリック医薬への投資・品質向上を目的とした医薬品価格の上限撤廃を例外として、医療費と処方薬費用のワンパッケージ化や医薬品の集中購入など、医療や製薬業界によるマージン上乗せを禁止する流れが主流となっていました。


しかし、同じ療法でも近代的医療と中国伝統医療を中心とする医療施設では、同じ診療にも関わらず後者の診療費は前者の1/3しか請求出来ない、という格差問題があります。


医療費のマージン上乗せ禁止に苦しむ中国伝統医院にとっては、漢方薬調達費用の「非合法な」削減は重要な利益源であり、また中薬飲片業者にとっては売り上げの7割強を占める病院・診療所からの圧力は避けられなかったでしょう。


商売相手からの執拗かつ非合法な納価の要請、更に近年の輸入薬材の価格上昇と、2019年薬品管理法で正式に認められた医薬品のネット販売は、劣悪で非合法な生産販売を辞さない小規模業者が暗躍する背景となったと思われます。


……………………………………

三つ目は、米中対立に伴う欧米的・近代的国際標準に対する視点の変化です。


元々、CFDAによる厳しい品質管理を中国政府が求めたのは、医薬品貿易の振興が目的の一つでありました。前述のICHへのCFDA加盟も、中国製医薬品が日米の薬品品質基準に準じることを証明するためであった旨、2017年当時の各報道が伝えています。


しかし当時の中国が行っていた貿易外交は、CFDAが行ったような国際標準に従い国内を調整するものばかりではありません。国際組織の中に入り込み、中国に都合の良い形に国際標準を変更する。2018年初夏に激化した米中貿易戦争は、このような中国側の策動に対するアメリカの反抗から始まったとも言えるでしょう。


CFDAによるICH加盟の一年後、今度はNMPAのICH管理委員会メンバー参加を伝える現地報道からは、かつてとは真逆の「国際標準を変更させる」姿勢を諸手を挙げて歓迎する様子が見えてきます。またその伏線として、ICH加盟後も漢方薬の評価が欧米では未だにハーブ扱いであることに対し、CFDAの弱腰を責めたてた報道も散見します。


既に貿易戦争前夜の中国には、欧米主導の国際標準に敬意を持つCFDAを許さない、むしろ中国が更に革命的な国際基準を提供するべきである……そんな思考が「官民」ともに蔓延していたと考えて良いのではないでしょうか。


そして、このような空気は当然現場にも漂っていたと思われます。特に伝統的手法を重視する中薬飲片業者、また取締るCFDAを掣肘する政府機関に漂う、近代的化学分析を軽視し抵抗なくアンダーグラウンドに向かわせる空気が。


………………………………………

……伝統的にWet Marketを形成してきた“小作坊”食品業者は、例え食品衛生管理機関CFDAの解体に際しても、省レベルで維持された政策が彼らの暴走を食い止めえたかも知れない事を、第4章や今回の冒頭でも記しました。


しかし、専門市場でもないWet Marketではマイナーな漢方薬(中薬飲片)業者にとっては、CFDAの存在は食品とは逆に鬱屈を産む原因になったのではないでしょうか。CFDAの政策でも医薬品企業に対しプラスとなっていた新薬承認さえ、中薬飲片業者には全く恩恵が無いものだったのですから。


第1章の始めに私は

  • 本来先進・中進国では感染症が蔓延しないよう衛生管理が発達しているはずであるのに、中国ではその仕組みが機能していなかったこと。
  • 今回のコロナウィルス発生は、国際的保健システムが中進国での感染リスクを軽視した、或いは中進国の衛生管理を補完しうる国際的な取り決めすらこの領域への介入に失敗した結果なのではないか

と前提しています。


この前提に基づいて、第1章では政府及び国際機関が中国のWet Marketを存続させる予定になかった、という論理を展開しました。


残念ながら第4章で記したとおり、Wet Marketを構成する小規模食品業を対象とするCFDAと地方政府主導の政策は、近年この枯死政策が転換された一つの証と考え得る事を示しています。


しかし伝統的な法的権限や近年の非合法需要に支えられ、Wet Marketなどに潜んだ中薬飲片業者においては、近年の政策が危険で非衛生的な製造環境構築を促進させたと思われます。

上位行政組織の掣肘や米中対立から生まれたイデオロギーは中薬飲片業者にCFDAへの不信を促し、続くCFDA解体が彼らをWetMarketを拠点とするアンダーグラウンド化……漢方素材由来のウィルスがいつMarket中に蔓延してもおかしくない環境……へと導いたのではないか、というのが私の今回の結論です



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……とりあえず、『中国政府のWet Market衛生政策』と題した一連の文章は、ここで一旦終わりとさせて頂きます。


なお、最期に一章だけ、漢方薬と国際的保健システムの絡みについてのみ文章を作成する予定です。

最期の章ではWet Marketにも構成体たる小規模業者にも言及出来ないと思いますが、中国政府と並んで漢方薬の暴走を招いた国際的首謀者の存在をあぶり出してみようと考えています。



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附記:


残念ながら、武漢の華南海鮮市場に中薬材・中薬飲片の業者が存在したという具体的な証拠はありませんし、また個人的には新型コロナウィルスの発生源が漢方薬だったかなど、どうでも良い話です。

しかし華南海鮮市場では蝙蝠や穿山甲の肉を販売した形跡がないのに、当該市場でこれら由来のウィルスが確認されたこと。これは夜明砂の原料や醋山甲の成体をこの市場に搬入、或いは中薬飲片までの処置まで行っていたと推測するのに充分な状況証拠だ、と思っています。

夜明砂の製法はコウモリの糞を砕いて砂を取り除き、軽く炙り乾燥させるだけの単純なものとされています。この処理は狂犬病ウィルスには有効とされているらしいですが、コロナウィルスの除去が可能とは思えません。

衛生面を省みない業者が各地の糞をかき集めるためにWet Marketを利用し、かつ粉塵を発生させながら中薬飲片への下処理を行うとしたら、彼らが採集した糞由来のウィルスの種類や一次感染の危険性は、クリーンルームで精々数百匹の検体を扱うだけのウィルス研究者とは比較にならないでしょう。


……あともう一つ、長春長生ワクチン不正事件の経緯やNMPA・NATCM局長等の経歴・所属政党から、ウィルス起源の隠蔽をめぐる一つの構図が見えたのですが、これは陰謀論の類となってしまうので文章化を避けました。

中国のWet Market衛生政策(4)

『中国のWet Market衛生政策(3)』の続きとなります。

はじめに


すみません。『中国のWetMarket衛生政策(1)』で、中国ではWetMarketの存続を前提とした衛生政策が存在しない、という旨を記しましたが、結構ごっつい政策が見つかりました。謹んでお詫び申し上げます。

そして、この第四章についてはこの中国によるごっついWet Market衛生政策と近年の変節、そしてこの変節がWet Market或いは小規模生産業者に影響を与えたと考えられる部分について、記していこうと思います。


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4: 最近の中国食品安全法によるWet Marketの見直し

4-1: 中国食品安全法(2015年度版)


中華人民共和国食品安全法 改正全文(仮訳)(2015年11月)
JETROホームページより


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はい、ガッツリ中国政府の法律でした。


2009年に施行された食品関連産業に対する衛生政策、食品安全法は2015年・2019年の2回の改正が行われております。

この食品安全法では2009年当初からWet Market等の小規模生産販売業者への言及が為されていましたが、この2009年当初の時点では


中華人民共和国食品安全法-中国 唐山市
中華人民共和国 唐山市人民政府 日本事務所HP


〉第29条(食品の生産経営の許可制度)(前略)食品生産加工小規模工房及び食品露天商が食品の生産経営活動に従事する場合は、本法が規定するその生産経営規模と条件に相応する食品安全要求に合致し、生産経営する食品が衛生的・無毒・無害であることを保証しなければならない。

〉関係部門はその監督管理を強化しなければならない。具体的な管理規則は省、自治区直轄市人民政府の人民代表大会常務委員会が本法に従って制定する。

〉第30条(小規模経営の改善) 県レベル以上の地方人民政府は食品生産加工小規模工房の生産条件の改善を奨励し、食品露天商が集中交易市場・店舗など固定した場所で経営活動を行うことを奨励する。 


……『中国のWetMarket衛生政策(1)』で記した通り、大規模バリューチェーンへの回帰奨励を前提とした衛生義務と、その管理監督を省や自治区に任せる旨を明文化したものに過ぎません。

もちろん実際には、今まで記したようにこの時期には殆ど大型バリューチェーンへの回帰の流れは無かったと思われます。実際、この当時の公的機関による公開ネット質疑応答では「食品安全法では小規模業者は定義すらされていないのではないか」という問い合わせが出ていた程でした。


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しかし、2015年の改正に際し小規模業者に対して


〉第三十六条 食品の製造・加工を行う小規模業者及び食品の露店販売者が食品の製造・販売活動に従事する場合には、本法が規定する、その製造・販売規模、条件に対応する食品安全の要件を満たし、製造・販売する食品が衛生的で、無毒、無害であることを確保しなければならず、食品薬品監督管理部門はそれに対する監督管理を強化しなければならない。

〉県級以上の地方人民政府は、食品製造加工の小規模業者、食品の露店販売業者等に対して総合的管理を行い、サービス及び統一的計画を強化し、その製造・販売環境を改善し、それがその製造・販売条件を改善し、取引市場や店舗等の固定した場所で販売、または指定された臨時の販売区域、時間帯に販売することを奨励・支持しなければならない。

〉食品製造加工の小規模業者及び食品の露店販売者等に対する具体的管理規則は、省、自治区直轄市が制定する。


……小作坊、或いは三小と称される小規模業者の居場所をバリューチェーンから臨時販売市場に拡大した上で、サービス及び統一的計画強化、ひいては業者の置かれた環境や条件を改善するための総合的管理を地方政府に指示しました。


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この食品安全法の視点の変化については、食品安全法に基づく2016年の中国食品安全法実施条例(JETROホームページより)を見ると、その違いが良く分かります。

第31・45条では製造・販売管理規範、63条ではトレーサビリティ、121条では事故情報通報システムの整備、122条では緊急対応訓練を課す企業について規模による運用の区別を認め、更に省の管理範囲についても第132条で規模に基づくものとしています。


いわば小規模業者に対する衛生政策を省がフレキシブルに対応する事を認め、一方で今後Wet Marketを形成する小規模業者などにも近代工業的衛生政策を順次導入させる様、省に要請しているのです。


なお2009年当初の実施条例(JETROホームページ)では第20条で

〉(前略)その他の(筆者注:企業形態ではない)食品生産経営者は、法に依拠して相応する食品生産許可、食品流通許可、飲食サービス許可を取得し、工商登記しなければならない。食品を生産加工する小規模な拠点および食品の露天販売に対し別途規定がある場合は、その規定に基づく。


とのみ記していたのとは対称的です。


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※なお、この食品安全法は2018年末に改訂されましたが、この「食品安全法」自体は後述の実施条例とは異なり“三小”業者については2015年版と原則変更ありません。

gkml.samr.gov.cn

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この食品安全法や実施条例に則り、各省は省ごとの食品安全条例とその細則を作成しました。

http://www.hubei.gov.cn/zwgk/fgwj/201608/t20160803_875465_mob.shtmlwww.hubei.gov.cn


この湖北省食品安全条例では、

  • 第25条で小規模製造・食堂への許可、露天商の登録制度を説明。続く26、27条と合わせて許可登録制度の現場審査の管轄と期限、衛生義務などの説明
  • 第33~39条で製造、40~43条で食堂、44~48条で露天商の取扱カテゴリーと運営の細則を説明しています。

具体的には2015年食品安全法の枠のもと、地方政府の権限で定義された“三小”業者に対し、“负面清单”彼らには手に負えない衛生管理が求められる一部禁止カテゴリーをネガティブリストに掲載したうえで、彼ら小規模業者専用のライセンス登録を許可するに至った訳です。


……ともかく、この各省による食品安全条例が発効された2017年以降、Wet Marketを形成する三小業者は大規模バリューチェーンに飲み込まれたり、あるいは政府などによる廃業の危機に晒されるのではなく、省主導の衛生政策……或いは省の都市計画そのものの恩恵に浴する事となった訳です。


k.sina.cn


〉党グループ長官であり湖北省の市場監督局の局長であるZou Xianqiは、小さな食品ワークショップは食品業界で小さな巨人を育てる「インキュベーター」であり、貧困を克服するのを助ける「加速器」であると述べました(中略)

〉Zou Xianqiは、省のすべてのレベルの市場監督部門は、人々中心の開発思考を誠実に実施し、小規模な食品ワークショップの包括的な管理を、農村の若返り、貧困緩和、汚染防止と管理などの主要な戦略の実施と有機的に統合する必要があると述べました。


……2019年11月20日湖北省市場監督管理局の会合におけるこのスピーチは、Wet Marketを形成する三小業者に対する新たなビジョンを提示していると思われます。

彼らを衛生面で省の庇護下に置くことだけでなく、Wet Marketの本質を変えずに都市計画の一環として組み込もうという、更に一歩踏み込んだ省側の姿勢を示していたのです。


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4-2: 2019年食品安全法実施条例と組織変更


……が、この2015年食品安全法やそこから派生した地方政府主導のWet Market支援政策とは裏腹に、中央政府は2019年末に全く異なる観点による条例を公布してしまいました。


https://www.jetro.go.jp/ext_images/world/asia/cn/foods/pdf/sanitation_201911.pdfwww.jetro.go.jp


2019年7月に公表、12月に新たに施行された食品安全法実施条例は、一般的には食品衛生の主体を中央・地方の行政機関による監督責任から、各業者の管理責任に移した事が大きな特徴とされています。


www.jetro.go.jp


そして三小業者に対して、今回の条例は彼らに大企業と変わらないレベルの衛生政策を求める形となりました。適性製造規範やトレーサビリティについて、小規模業者に対する省の裁量を認めていないのです。


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この方針変換には、恐らく中国政府側の組織変更が関係していると思われます。

従来中国の食品・薬品の安全性を確認してきたのは国家食品薬品監督管理総局(CFDA)でしたが、2018年3月の組織変更によりCFDAは国家薬品監督管理局(NMPA)へと名称変更、こちらは主に薬品を管理する組織となりました。

食品の管理は、NMPAの上位機関にあたる国家市場監督管理総局(SAMR)に統合されたのですが、このSAMRには旧CFDAの食品関連部門だけでなく、他の衛生管理を担当する各機関が統合されています。

……つまり、この中央集権的なSAMRへの組織変更を通じて、2015年以来の食品衛生政策の捉え方自体が画一的に、言い換えれば地方の裁量を認めない形に変更されたのではないか、と推測されるのです。

なおこの組織変更については幾つかのレポートにより、当初はどの部署が何を担当するのか等機能不全を起こしていたとの話があります。その真偽はともかく、SAMRが自らの食品衛生政策を具体的に公表出来るようになったのは、恐らく2019年以降だったということなのでしょう。


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更にその中国政府の新たな捉え方が、省などの地方行政機関に伝わっていなかった可能性があります。

前述した湖北省市場監督管理局による2019/11/20のスピーチは、この伝達不足の状況の象徴と言えるでしょう。改定食品安全法実施条例は2019年7月に既に発表されており、もしその意図する所を把握していたなら、中央政府の意向と異なるスピーチを行う訳は無いのですから。

また、湖北省の咸宁市ではかつての食品安全法や食品安全法実施条例に則ったと思われる、小規模業者向けの安全行政措置が2020年5月から発効予定となっております。こちらには2019年食品安全法実施条例でピックアップされていた、適正製造規範やトレーサビリティについての言及が存在しないのです。

www.xianning.gov.cn


一方でSAMRは地方への指示として2020年2月に『市场监管总局关于加强:食品生产加工小作坊监管工作的指导意见(市場監督総局について: 小規模な食品生産および加工ワークショップの監督に関する指導意見)』を公布しています。

これは“三小”業者に対する省の積極的管理を肯定してはいますが、2015年食品安全法から派生した小規模業者への省の裁量を全く取り上げていない事に注目すべきでしょう。

m.cqn.com.cn


……そして、この実施条例改定に伴う混乱こそが、武漢のWet Marketで取り返しのつかない衛生危機を招いた一つのきっかけだったのではないか、と考えられるのです。


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2015年の食品安全法に代表される衛生政策には、Wet Marketを形成する三小業者の管理裁量を地方政府に委託する分、癒着による衛生不徹底を招く問題があります。その意味ではWet Marketを不潔なまま都市生活や地域活性政策に組み込んでしまう危険もあったのでしょう。

一方過去2年間の政策を翻し、小規模業者にまとめて大企業並みの衛生システムを要求する2019年の食品安全法実施条例は、Wet Marketがアンダーグラウンドに逃れる……とは言わなくとも彼らに面従腹背の余地と、地方政府の監督不徹底のきっかけを生む可能性があります。そもそも中国政府の意向が地方政府に旨く伝わっていないような状況なのですから。


もし一般的な説の通り、武漢のWet Market市で販売される野生動物の加工食品が新型コロナの発生源だとするのであれば……そのような不衛生な食材を取り扱うに至る背景のひとつ程度には、上記のような中国衛生施策の朝令暮改に伴う混乱をあげる事が出来るのではないでしょうか。


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……とはいえ、具体性に欠けます。

政策の朝令暮改や監督側の一時的混乱が、Wet Marketをして危険な食材を「2019年末~2020年初というピンポイントのタイミングで」格別に危険な衛生環境のもと提供した理由にするのは難しいと思うのです。

そもそも第1章で記したようにWet Marketの衛生管理が締め付けのみを続け、アンダーグラウンド化を促進していたならばともかく、数年間にせよ締め付けは緩められ、省側の関心の中にあったのです。

野生動物の販売自体は恐らく、省側のWet Market政策のギリギリ範疇で行われていた、と考えても良いのではないでしょうか。

政策が混迷した時期に幾分の目零しがあり、特定野生動物の販売(特定種以外は規制対象外でした)や加工前の動物に対する格別に不衛生な状況が存在したとしても、またWet Marketの職務意識に非衛生的な伝統が残っていたとしても、この短期間で致命的な衛生問題が発生するというのは少々不自然な印象が拭えないのです。


もし感染源が食品状態で提供されたなら、ですが。


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『中国のWet Market衛生政策(5)』に続きます。


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……なんと、見出しを作ることが出来なくなってしまいました。

はてなブログでは見出しを作るボタンがPC版にしか無く、スマホ画面からPC画面に切り替えてボタン入力していたのですが、どうも「PC画面への切替」機能が変更された頃から、このボタンが無効になってしまったようなのです。

中国のWet Market衛生政策(3)

『中国のWet Market衛生政策(2)』の続きとなります。


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3: 貿易ルールによる国際的衛生向上策の破綻

3-1 防疫措置の同等性と相互の水準向上


もし支援型の公衆衛生意識が根付かないまま、或いはおかしな道を辿ったまま発展途上国を卒業、自主性に頼らざるを得なくなってしまったのであれば……今度は商業取引上対等な国家として、資本主義型つまり国際貿易ルールを援用して国内食品産業の軌道修正を促すやり方もあります。

WTOによる『衛生植物検疫措置の適用に関する協定』(外務省HP)がそれです。


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『衛生植物検疫措置の適用に関する協定(以下SPS協定)』とは、ざっくり言えばWTO加盟国間の検疫措置について

  • 必要限度に応じ、かつ科学的根拠を伴うこと(第二条2)
  • 同等条件の検疫措置を行う加盟国の恣意的・不当な差別を行う形で貿易障壁に利用しないこと(同3)


を定めたものです。それ自体は加盟国の衛生基準向上に役立つように見えないのですが上記二条3の内外無差別、及び第四条「措置の同等」が鍵となっており


〉加盟国は、自国の衛生植物検疫措置により同一又は同様の条件の下にある加盟国の間(自国の領域と他の加盟国の領域との間を含む。)において恣意的又は不当な差別をしないことを確保する。衛生植物検疫措置は、国際貿易に対する偽装した制限となるような態様で適用してはならない(第二条3: 外務省HPより)


〉加盟国は、他の加盟国の衛生植物検疫措置が、当該加盟国又は同種の産品の貿易を行っている第三国(加盟国に限る。)の衛生植物検疫措置と異なる場合であっても、輸出を行う当該他の加盟国が輸入を行う当該加盟国に対し、輸出を行う当該他の加盟国の衛生植物検疫措置が輸入を行う当該加盟国の衛生植物検疫上の適切な保護の水準を達成することを客観的に証明するときは、当該他の加盟国の衛生植物検疫措置を同等なものとして認める。このため、要請に応じ、検査、試験その他の関連する手続のため、適当な機会が輸入を行う当該加盟国に与えられる。(第四条1)


……ひっくり返すと「輸入品の検疫措置に高い水準を求めるのであれば、同時に自国内製品も同様の検疫措置が行わなければならない」「輸出先の検疫措置と同等の措置を行っている事を証明するために、輸入国の求めに応じ客観的証明を繰り返さなければならない」という事になり、結果として輸入・輸出国とも自国の検疫、というより国内食品産業の公衆衛生を、共に同レベルの高い水準に導きます。

そしてこれは国内のコスト増と貿易チャネル増加の最中にあり、同カテゴリーの食品を輸入しまた同時に輸出する立場にある中進国にこそ有効に適用される原理です。

これによりSPS協定は、支援という形では手を出し難かった中進国の国内市場……Wet Marketの健全な存続を前提とした衛生水準向上を、国際貿易ルールを通じて自主的に促しえる重要な手段となりえた訳です。


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3-2: 農業関係歳出法727条へのWTO訴訟


しかし、この国際貿易ルールによる公衆衛生向上システムにも、WTOの意識に根本的な問題があり、中国はそこに楔を打ち込むことでシステムから離脱してしまいました。

それがアメリカによる2009年農業関係歳出法 727 条(以下727条)に関するWTO訴訟(DS-392)です。


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米国-中国からの家禽類の輸入に関する措置(パネル)
経産省HP : WTOパネル・上級委員会報告書に関する調査研究報告書 2011年度版より


この727条自体は、説明文書によると


〉中国産の汚染された食品に対するきわめて深刻な懸念が存在するため、農務省食品安全・検査局(Food Safety and Inspection Service, 以下「FSIS」)が中国産家禽類製品の米国への輸入を認める規則を適用するために支出することを禁止するものと説明。農務省に対して、(i)中国の食品安全法改正の含意について1年以内に議会に報告すること、(ii)中国産の家禽類製品の安全性を保証するための行動計画(中国の検査制度の体系的な検査、中国が対米輸出を認定する適格加工・屠殺施設の検査、試験施設その他の管理工程の検査、輸入港での高水準の検査、中国から家禽類製品を輸入する他の国との情報共有プログラムの創設などを含む)を議会に提出することを指示(上記経産省HP、P1より。以降ページ数のみで記載)


……中国産家禽類の輸入について衛生上懸念される事項の報告義務づけと、それらを行う前にFSISが独断で中国と同等性認定交渉を進行させる事がないよう、財政面で圧力を与えるための法案でした。

この背景には当時直近でもメラミン入りミルクの販売など、中国食品に関する安全性が懸念される事態が相次いで発生していたにも拘わらず、同等性の予備認定をFSISが非公開で行うなど、中国産家禽類輸入に向けた防疫措置認定交渉を進行させていた(P2~3)事があります。

この727条に対し中国は、このような行政機関への歳出締付け行為はエビデンスの伴わない検閲措置に相当し、SPS協定に違反するものであるとWTOに訴えたのです。


………………………………………

この727条の争点として、先ほど記したSPS協定第四条“検疫措置の同等性”と関連する部分のみを取り出すと

  • SPS協定第四条の“検疫措置の同等性”評価のみに関わる手続きであり、“輸入品の危険性評価”に伴う科学的根拠は必要としない
  • SPS協定第二・五条の“輸入品の危険性評価”同様、“検疫措置の同等性”評価に関わるのみの手続きにも科学的根拠が必要であるため、科学的根拠に乏しい“検疫措置の同等性”への干渉行為は『当然に』SPS協定第二・五条違反となる


このどちらであるか、という判断が最大の焦点となり、


〉SPS 協定 4 条の文言からも、SPS 委員会が採択した 4 条の実施に関する決定からも、4条が適用される場合に SPS 協定の他の規定の適用が排除されるとは解されない(P6: (3) SPS 協定の適用条文 パネルの判断)


……WTOパネルは第四条における“検疫措置の同等性評価”について、他条文の“危険性評価”と同様の適用がされなければならないものである、と認めてしまったのです。


………………………………………

結果的に、中国側の主張がほぼ全面的に通った形でした。

「第四条にも科学的根拠を求める」という判断をWTOが下してしまった以上、このWTOパネルの判断は、SPS協定の法的側面においては正しいものだったでしょう。この結果は仕方ありません。

実際、アメリカ側は727条がSPS協定第四条に関係する手続き法案だと認めた(P6)上、そのエビデンスとして中国食品全般に対する懸念を記した新聞記事程度しか提示できなかった(P7)のですから。


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3-3: 自浄を放棄した中国公衆衛生とその後


ところで、今回の訴訟対象となった727条には他のSPS関連訴訟と異なる特徴がいくつかあります。


一つ目は、727条が危険視していたものが特定微生物や薬品使用あるいは環境保全解釈の濫用といった具体的なものではなく、中国の不実な公衆衛生に基づく防疫制度の不透明性だったこと。


二つ目は、この不実性を払拭するための手順を経る前に、「FSISが勝手に」実態の不明な中国の防疫制度を鵜呑みにして同一性認定を進めるのを、アメリカ議会が阻止しようとしたのが727条だったこと。


三つ目は、727条がSPS協定第四条つまり同等性認定のための手続き事項と見なされるならば、FSISとの同一性認定の最中に発生した新たな疑義、

〉中国産の家禽類製品と中国産の他の食品について同じ危険性(P8)

の問題を科学的根拠をもって立証することは、第四条1の後半文面からもまたSPS協定が例外規定でない事からも本来中国側の義務なのに、WTOパネルではこの点には全く触れなかったこと。


四つ目は、727条発効以前のFSISの活動に対して

〉2006年にFSISが中国の検査制度が米国の制度と同等であるとの予備的認定を行ったにもかかわらず727条がこれを覆した(P8)

と、FSISの予備的認定をあたかも決定事項と判断し、それを727条がひっくり返したと判断したこと。


………………………………………

この四つですが、特に三つ目は前述した「SPS協定による自主的な国内市場衛生水準向上」のメカニズムから中国が……いや、不実な国家が離脱することに繋がりました。輸出国側が防疫措置の同等性を立証する場合、その立証の透明性は確保されていると推定されてしまったからです。

アメリカ議会が疑問を呈し、立証の透明性を検討するための資料提出をFSISや中国に要請することすら、その“疑問を呈すること”自体に科学的根拠が無いので協定違反、というパネル判断が下されるのですから。

平たく言えば、中国は虚偽・実地調査力に欠ける同等性立証資料を元に輸出国・輸入国の防疫措置を束縛する事が出来る一方、内外無差別原則や措置の同等性により不可欠であった筈の自国内の公衆衛生改善には、上辺だけの防疫措置を盾に手つかずのままでいられる訳です。

……はい。又も効率性追求の結果、Wet Marketに代表される国内流通分野の公衆衛生は置き去りにされたのです。


………………………………………

結局、国際貿易ルールを以てしても中国国内の公衆衛生意識まで更生出来ない事を悟った輸入国側は、とにかく自国に持ち込まれる製品のみの衛生確保に奔走する事になります。


アメリカ議会は新たな農業関係法案743条をもとにFSISに対して6カ条の調査を要請、その結果


〉中国の家禽類の屠殺検査制度と加工検査制度について、中国から提供された資料の審査に続いて 2010 年 12 月に現地検査(on-site audit)を実施し、検査結果を 2011 年10 月 6 日に公表し、屠殺検査制度、加工検査制度のいずれについても米国の検査制度との同等性は認められないと結論した。この結果、中国産の家禽類・家禽類製品は依然として米国への輸入が認められないことになった(P17)


……FSISとしては認定を強行し、議会の要請に従い認定後も中国の検査制度調査を継続してボロを出すよりも、同等性の予備的認定を自ら覆しご破算にする方を選びました。


その後2016年の日本でも平成 28 年度輸入食品監視指導計画において


〉現行の輸入食品等事前確認制度にHACCPによる衛生管理の要件を加え、輸出国登録施設制度とし、これを輸出国政府、生産者等に対し周知、普及することにより、輸出国における安全対策を推進


と、日本に輸入する品に限定した製造・流通過程の衛生確保に注力、中国国内流通ベースの防疫制度の枠外で対処する事となるのです。

※なおこの輸出国登録施設制度を期に、未だ国内で6割ほどしか導入状態にない(農業協同組合新聞より)HACCPを、2018年改正食品衛生法により義務化する流れとなりました。
内外無差別や防疫措置の同等性を援用すると、本来はこのような形になる訳です。


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……遂に中国のWet Marketの衛生は、国際保健の支援からも国際貿易ルールの自浄効果からも救済されることはありませんでした。

政府の枯死政策の中で逆に危険な悪化を見せるに至ったのは、第一章に述べた通りです。

ただし、国際保健システムにも国際貿易ルールにも、こと中進国政府の公衆衛生向上に目を向けさせるには欠陥があったという事でもあります。 

そして中国がその欠陥に身を投げた動機は、まさに中国が発展途上国から卒業した際に獲得した「効率性」というアイデンティティだったのです。


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付記:

第3章の締めとして、727条に関するWTOパネルが設置されたのと同じ2009年7月に、FSISと同じくアメリカ農務省内にある経済調査局(ERS)が作成した、『中国からの輸入品と食品安全問題』という資料を紹介いたします。


この“Potential Safety Hazards”章、第7パラグラフの途中から第9パラグラフの途中までの記述を
こちらで和訳いたしました。
tenttytt.hatenablog.com


防疫措置の同等性について、既にこれだけの問題点を指摘される状況にありながら、727条WTOパネルはそれらを退けた訳です。


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727条の後継となる743条について、その内容がより同等性認定を退ける流れのものであったにも関わらず、


〉米国への中国産家禽類・家禽類製品の輸出許可申請にいかなる特恵的な配慮もし
ないこと
(P17)


〉本条は米国が国際貿易協定で負っている義務に適合する方法で適用される(P16)


といった文章を添えるだけで満足してしまう事も加えて、WTOという組織の考え方の危うさ……買収などとは別のイデオロギー的な危うさを感じてしまいます。まあ国際機構のイデオロギーの怪しさにつあては、第二章で記したとおりWHOもどっこいなのでしょうが。


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さて、中国の公衆衛生政策における効率性と先端技術の話はある程度触れましたが、もう一つの「伝統性」についてはほとんど触れられませんでした。次回はその部分にも触れられれば、と思います。


以降『中国のWet Market衛生政策(4)』に続きます。

……この題名、少し苦しくなって来ました。

中国のWet Market衛生政策(2)

『中国のWet Market衛生政策(1)』の続きとなります。


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2. 国際社会からの衛生支援と中国

はじめに:


中国のWet Marketに対する衛生政策が、結局その存続を前提としていない強圧的なものであったことと、その衛生政策以上に政府から存続が求められていないこと自体を恐れたWet Market側が危険な商材に活路を見いだしたこと、については第一章で記しました。

少し視点を変えて、諸国家による衛生支援とはどのようなものかを考えると、主に特定の発展途上国に対する二国間支援(日本ではJICAが窓口)と複数国家が国際機関(WHOなど)に委託して行う多国間支援といった支援がありました。もちろん各発展途上国などの必要に応じ、水・洗浄インフラや衛生教育、或いは財政支援など多岐に渡ります。

特に近年の特徴としては、SDGsやUHCの考え方を拠り所とする国家横断的な衛生思想であったと思われます。


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保健や衛生はもちろん、環境・経済成長・個人の生活水準などを「取りこぼしなく」維持するため、大量の目標やターゲットが盛り込まれた「国連加盟国が2030年までに取り組む行動計画」として2015年に採択されたSDGs(Sustainable Development Goals)、
www.unicef.or.jp

この多数のターゲットから保健や衛生に関わるものを統合させる「各国国民の誰もが、経済的な困難なく保健医療サービスを受けられるための仕組み」として設定されたターゲット3.8のUniversal Health Coverage(普遍的な健康保険)の二つ。
www.jica.go.jp


そしてSDGs・UHC共に感染症対策には高いプライオリティを置いており、特にUHCについては2015/09/11の『平和と健康のための基本方針』(外務省HP)

公衆衛生危機とUHCを二つの柱とした……というより

  • 感染初期対策のための緊急国際財政支援という広義のUHCと
  • 感染症予防・検知に繋がる保健サービスアクセスという形のUHC

つまりUHCの二つの側面による保健システム強化を通じ、感染蔓延(及び災害)危機に対抗する姿勢が示されています。


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2-1: 衛生支援享受国からの卒業


さて、このように発展途上国の保健アクセス向上支援を通じて、国際的な脅威となる感染症を予防・検知しようとする試みが為された訳ですが、経済発展に成功した中国については、ちょうどSDGsが国連で採択された2015年を目処にこの支援政策の埒外となりました。

元々Wet Marketについては国外からの衛生支援が見当たらない旨は前章で記しましたが、中国の経済的隆盛に従い保健支援そのものから撤退していったのです。

例えば日本では、2018/10/26の安倍首相と李克強首相の会談によって対中ODAを完全に終了した件が知られていますが
www.cn.emb-japan.go.jp
2008年以降は「草の根無償」を除く大型支援が、また中西部地方の格差対応として例外的に継続していた「草の根無償」も実際には2015年度でほぼ終了。技術援助についても前述したJICAの『家庭保健を通じた感染症予防等健康教育強化プロジェクト』等が2016年1月で終了した事により、以降中国への日本政府による保健支援は終了しています。


〉我が国が中国を一方的に支援するのではなく、日中両国が対等なパートナーとして、共に肩を並べて地域や国際社会に貢献する時代になったとの認識の下、対中ODAを終了させる

ことになる位、中国は経済的に発展しており、原則自らの力で諸問題……例えば国民を幅広くフォローし得る保健サービスの提供や、感染症を蔓延させない公衆衛生を構築出来ると見做したのでしょう。実際この時期の中国には、その自信と自負に溢れていたと思います。

※自信と自負に溢れて「やった事」については第四章以降に記す予定です。


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2-2: 迷走する保健・衛生意識


……もちろんこのような自負など現実には通用せず、自国のみならず周辺国にも影響を及ぼし続けた末、今まさに最大レベルの感染危機を招いている訳ですが……そこには現代国際的に共有される常識から乖離した、中国独自の保健意識が存在するからだと思われます。


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近代的で清潔な大規模流通がその地位を奪うと信じて、21世紀初頭の衛生水準すら満たし得ぬWet Marketを延々と放置し続けた衛生戦略だけでなく、

新型コロナ発生後の対策にも

m.news.naver.com
有毒な消毒テントを通らないと共同団地への出入りが出来なかったり、

www.healtheuropa.eu
ドローンを使用した農村部の消毒を検討したり

www.pharmaceutical-technology.com
省の保健委員会が各病院に漢方薬併用を要請したり

www.xinhuanet.com
国民の行動封じ込めのため、電子マネーに感染申告アプリを導入したり


……何より感染が発覚次第、武漢を都市ごと閉鎖したり。


実際どこまで本当なのかは判りませんが、このような前近代性と先進性を併せたトンチンカンな情報が飛び交っても、中国ならさもありなんと思われてしまうほどです。


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もちろん各国による防疫政策を見れば、それぞれのポリシーに基づく対応が他の国には喜劇に見える。そんな側面もあるのでしょう。

しかしそういう政策面とは別に、中国の防疫政策にはひと昔前の防疫知見と独自の要素(先進的・伝統的両面で)を融合することで魔法のような効果が得られる、と半ば本気で信じているかのような特殊な印象が見受けられるのです。


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2-3: 中進国ゆえの拠り所


このような保健衛生意識が中国で形成された理由の一つとして、先進国が各種支援から後退してしまった中進国ならではの事情があると考えられます。


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商業向けの研究ではない公衆衛生分野では、先進国の最新の知識や技術は発展途上国を中心に伝播されます。

一方中進国ではかつて自らが支援を受けていた頃の技術・教育が残存してしまい易く、古い思想の公衆衛生措置を強権的に……またそれ故に事態が悪化するまで放置しがちなのではではないか、と思われるのです。


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さらに、発展途上国を卒業した際の経済的成功経験が、公衆衛生技術のような先進諸国が長年積み重ねた分野を軽んじ、効率的手法を重要視する考え方を培うことも考えられます。

先端的科学技術で手早く公衆衛生システムを刷新させること、あるいは先進諸国が見過ごした伝統的手法の効能を際立たせること……これは技術支援という効率的アップデートを失った末、別の効率的手段を駆使して先進国を上回る形での問題解決を図ろうとする、中進国ならではの現状とアイデンティティの裏返しなのでしょう。


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あるいはその効率追求ゆえに、予防的衛生観念そのものが市場原理やはるか昔の伝統的観念に現場で敗北してしまう問題があります。

結果として、伝統的商業モラルによって個人の衛生意識が現場で塗り替えられる……それも国力や技術力の高いはずの国の方が、伝統的商業モラルにより個人の衛生意識を払拭しているのは前述のレポート通りです。
https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=http://www.tvet-online.asia/issue10/gengaiah_etal_tvet10.pdf&ved=2ahUKEwjUg4yMj9jnAhU-yosBHUifBZ0QFjABegQIBhAB&usg=AOvVaw3hwG0NYxdWDmCoS_2SkPg_&cshid=1581927115747


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……中国におけるWet Marketの衛生問題が歪んだ形で蓄積されたのは第一章で記したとおり、近代的で効率的な流通システムを推進する政府による淘汰措置や、Market側の自主的な衛生の受入拒否、危険な高利益商材の採用によるものでした。

地道でリターンの少ない努力の否定と、ある種魔法的な手段によりリスクを一気に片付けようとする発想。

その根底にあったのは、ODA等の支援を失った中進国の合理的な暴走であり、あるいはそのように導いた国際支援側の甘さもあったのかも知れません。


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付記:


……今までの流れとは別の話になりますが、今回のコロナ蔓延を期に、中国の魔法を信用してしまう最先端の感染症専門家が発生しています。
www.sciencemag.org


2020/02/28公開のレポートを作成したWHO調査派遣団長Bluce Aylwardが同レポートで未だに

〉積極的かつ徹底的な症例発見と、即時のテストと隔離を最優先(P21抜粋)
している事を筆頭に、


電子マネーアプリ活用による国民封じ込めを「AI(人工知能ビッグデータによって促進され、近隣レベルでの現場の機械によって非常に効果的に行われた、古き良き社会的距離と隔離の組み合わせだった」と評した香港大学のGabriel Leung、


広東省の32万人スクリーニングの結果を基に
「この(陽性者0.18%という)データは、我々が現状多かれ少なかれ想定していた(大量の軽症患者による)致命的なリスクが発生していないことを示しています。」と評したジョン・ホプキンズセンターのCaitlin Riversらの発言を見ると


国際都市で発生した封じ込め困難な不治・致死性感染という、自らの伝統的手法が通用しない問題に遭遇した末

  • 検査法の不正確さをフォローする、先端技術(国民管理ソフト)による感染率実数把握の継続
  • 都市レベルの囲い込み政策による、治療法発見までの時間稼ぎ


といった、現状の心配事を一発で片付けられる中国謹製の魔法に縋ってしまう、専門家の脆さを感じてしまいます。そんな魔法が現実には通じていないからこそ、まずは感染予防と保健アクセスの向上を進めるよう、国際社会は支援し続けて来たはずなのですから。

広東省のスクリーニング結果や1/23からスタートした封じ込め効果の想定値に疑問を抱いていれば、今の韓国の医療崩壊も、何故かイタリア内陸の小都市から始まったEU諸国の蔓延も防止出来たかも知れませんし。


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……いえ、別に専門家の防疫政策知見に意見を述べたい訳ではなく、ただ今後中国の魔法に魅了される専門家が増えていくのかな、と。


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『中国のWet Market衛生政策(3)』に続きます。