スロバキアの香港国家安全維持法反対から見るEU

はじめに


先月7月から、世界各国の外交が少しずつ動き始めました。


もちろん、早期にコロナ渦を脱したと公言する中国は6/18には一帯一路国際協力ハイレベル会議(JETROホームページ)を開催、各国代表やWHO事務局長に対してコロナ終息状況下の国際支援・協力を提唱しておりましたし、コロナに関係ない話としては6/30以降国連人権理事会を舞台とした香港・ウイグル関連の共同声明(イギリス政府HP)(中国国連常駐ジュネーブ事務所HP)などもありました。


しかし世界各国がそれぞれのコロナ被害にあう中、取り敢えず終息状況下を見据えた国際活動を少しずつ復活させたのは7月以降と言えるでしょう。


ところでこの世界各国の動向、その大きな潮流は対中観であったと思われます。中国からのコロナ対策支援、或いは中国による近隣エリアへの圧力を、コロナ終息状況下でどのように認識していくか。これは当たり前ですが各国それぞれの状況や、首長の性格によるものかと。 


6月までの活動は、コロナ終息状況に備える準備段階……いわば各国が旗幟を明らかにするための活動と言えるのではないでしょうか。


今回は典型的な一例として、スロバキアの政策転換とEUの対応を柱にして文章を纏めてみようと思います。


ヴィシェグラード4ヶ国(ハンガリーポーランドチェコ・スロバキア)の一角として、またEU所属・ユーロ採用国として比較的中庸の立場を示してきたこの国が、このコロナ終息状況下で国家としての性格をEU寄りに組み替えており、更にこのスロバキアの姿勢を受け入れた事で、EU側のコロナ終息後の思惑も浮き彫りにしているのです。


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1. 香港国家安全保障法とスロバキア


thediplomat.com


2020/06/30、いわゆる香港国家安全保障法の施行に対し、国連人権理事会(UNHRC)にて27ヶ国が反対、53ヶ国が賛同の共同声明を発表しました。


※賛同の意志を示した国家は、後に70ヶ国以上に膨れ上がった(GlobalTimes紙より)とされています。全ての国家について声明の確認は出来ませんでしたが、それ程おかしな数字ではないでしょう。


元々当初の53ヶ国にはロシアやセルビアのように前年度のUNHRCでも中国のウイグル対応に賛同した国、或いは後日大統領補佐官がウイグル不干渉の立場を公言したインドネシア(JakartaPost紙)のような、明らかに今回も中国の立場に賛同するであろう国家群が含まれていなかったのですから。


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さて、今回の反対表明を行った国家群の多くは、実は前年ウイグルに関するUNHRC反対表明(なお後日イタリア・ポルトガル・スロベニアも加わったとのこと)にも名を連ねておりました。


前年の表明で入れ替わりがあったのは、


うちスペインについては、前外相のジュゼッペ・ボレル氏がEUの外務・安全保障上級代表の地位に上がり、単にスペイン一国の立場から意見を表明し難かった事、
また彼がスペイン外相の際、前政権に引き続き台湾国籍犯罪者の中国本土引き渡し(BBC)を行っており、その意味では今回の反対表明が、かつての措置の問題を露呈する事を恐れたのかもしれません。


ポルトガルは旧領マカオとの関係もありUNHRCの場での表明を控えた(MacauNews)可能性があります。


イタリアは……一応G7の連名で反対表明を行ったようですが、実際には首相・外相並びに閣僚自身による反対表明は行っておらず、怪しい状況です。むしろここはテレビ会議のような状況で(日経ビジネスより。此方はEU会議の話でしたが)中国寄りのイタリアを丸め込みG7内のコンセンサスを纏めたフランス・日本の折衝力を評価すべきでしょう。


※「G7の場でのみ反対表明を行い、UNHRCで行わないのはアメリカも同様」と語るブログ記事をどこぞやで見かけましたが、そもそもアメリカは2018年にUNHRCを脱退しています(BBC紙)


2020/07/30の中伊外相会談の場でもイタリア外務省HPでさえ香港に関する具体的な懸念表明内容を記述しえない程弱腰なイタリアについては、巷間の噂通りセルビアと並ぶ一帯一路の橋頭堡と考えて差し支え無いでしょうし、そもそもイタリアが中国側にシフトした理由も特に外交上の利害忖度やポリシーに拠るものではなく、単に外相ディマイオが旧政権時から乏しい交渉チャネルを好みで選んだ結果にすぎないと考えています。


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そして今年加わった4ヶ国、ベリーズマーシャル諸島パラオスロバキアのうち、前者3国は台湾との国交を継続しています。


ウイグルを中心に扱った昨年とは異なり、香港同様の立地条件にある台湾の立場に従った可能性が高いでしょう。

……一国だけ、純粋に国内的な問題で反対表明に加わったと思われるのがスロバキアです。というより実はスロバキア、前年から政権与党が完全に切り替わっていたのです。



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2. スロバキア政権交代


www.afpbb.com


2019年3月、当時の政権Smer-SDの支援を受けた対立候補を破り、ズザナ・チャプトバがスロバキア大統領となりました。


その後、彼女の人気或いは長年与党であったSmer-SDへの国民の消極的反感、或いは当時Smer-SDを実質牽引したペレグリニ首相が外交に注力せざるを得ない時期に立て続けに選挙が行われた事もあり、


https://www2.jiia.or.jp/RESR/column_page.php?id=355www2.jiia.or.jp

2019年5月末の欧州議会選挙ではヴィシェグラード4ヶ国でも唯一、政権与党が最大議席を失い


r.nikkei.com

2020年2月末のスロバキア議会選挙の敗北の末、遂に3/21にOL'aNO党のイゴール・マトビッチに政権を明け渡す事になったのです。


※その後、ペレグリニ前首相はSmer-SD党首であり彼を首相まで引き立てたロベルト・フィツォ氏と対立(Budapest business journal紙)、離党のうえ新党HLAS-SDを立ち上げるに至っています(TASR NewsNow紙)


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それまでの政権与党Smer-SDがEU以外の国、特に加盟国の一つハンガリー(Atlantic紙)が反EU色を強めているヴィシェグラード諸国、ロシア或いは2017年以降は中国(The Diplomat紙)との連携も重視して来たのに対し、現OL'aNO政権の特徴としてはEU寄りの「性格」を強めている事があります。


友好諸国の政策に同調する、というペレグリニ政権時代と異なり、相手国の人権問題や環境問題に応じて時には懸念を表明する(Reuters紙)事も辞さない態度。


これは従来スロバキアの象徴的立場に過ぎなかった大統領職、チャプトバの政治的性格と言っても差し支えありません。現行のOL'aNOマトビッチ政権に移行する前、チャプトバ大統領下のSmer-SDペレグリニ政権において既に環境政策を変更していた(TASR・NewsNow紙)ことも、その根拠の一つと言えるでしょう。


※むしろチャプトバ大統領と本来中道右派であるOL'aNO政権の間の火種として、避妊手術制限の問題コロナ検疫ソフトのプライバシー保障問題(共にBalkanInsight紙)があるのですが、とりあえずここでは割愛します。


このスロバキアの政策変更が、EU中枢国から強く歓迎されたことは想像に難くありません。何故ならスロバキアが所属するヴィシェグラード4ヶ国は、EUの束縛を嫌い自国の政策独立性を主張するポピュリスト政権の一角と目されていたからです。


ペレグリニ政権時代のスロバキアをポピュリスト政権というのも微妙な話ですが、国家の象徴であるチャプトバ大統領のEU型人権問題重視・環境重視的「性格」に従うスロバキアOL'aNO政権は、EUからの干渉を避けようとする独立型ポピュリスト政権と対抗しえる政治形態の雛型をEUに提供した訳です。


そしてOL'aNO政権は、EU中枢の意向通りに香港・ウィグルに関するUNHRCの反対表明に加わり、またコロナ状況下のロシア・フェイク情報に関するEU側の見解(EEASホームページ)に準拠するレポートを国防省が発表、更には中国からの医療支援に対してもペレグリニ政権期と逆の冷淡な対応(BalkanInsight紙)を行っています。


※実は後述するように、このペレグリニ政権末期の中国医療物資支援(Reuter紙)こそ、スロバキアをして欧州で最もコロナ被害を食い止めた国とした要因(Euroactiv紙)の一つなのですが。


……このようなスロバキア新政権の帰順に対し、EU中枢は充分な報奨を与えました。EU復興基金の資金配分です。



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3. EU復興基金の恣意性とスロバキア


www.jetro.go.jp


2020/07/21EU各国の紛糾の末、コロナウィルス状況下からの復興基金7500億ユーロと2021~2027年の次期中期予算計画(多年度財政枠組み:MFF)一兆ユーロ強からなる、復興パッケージの合意が成されました。


この復興パッケージの内訳や意義については、経済に強い方々の説明を待つとして……とりあえず7500億ユーロの復興基金について、原案時点での各国配分比率を確認すると面白い話が見えて来ます。


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http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/pdf/macro/2020/tanaka200622europe.pdfgroup.dai-ichi-life.co.jp


原案の復興基金配分について、イタリア・スペインが全体の約4割を占めていた事については多く報道されましたが、ヴィシェグラード4ヶ国に目を向けて見ると


……それぞれのGDP(2018年)を比較すると


GDP比率で考えれば、スロバキアの配分は4ヶ国中でも突出しているのが判ると思います。実際EU全体で見ても、スロバキアは上位5位に入っているのです(次点でポーランドが9位)。


失業率の面から見れば4ヶ国中では高め他3ヶ国が3~5%程度なのに比べてスロバキアは6%前後・Eurostatデータ資料より)ですが、それでもEU平均を維持しており、「経済的に不安定だから優遇」という理屈は通用しないでしょう。


またコロナウィルスによる感染被害では2020/07/30現在で感染者2245名 死者28名(News24特設サイトより)、隣国はもちろん欧州全体と比較しても最低レベルの被害を誇るスロバキアが、コロナウィルス被害からの復興を目的とした基金で優遇されるべき理由は本来無いと思われます。


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ところで、元々EU復興基金には下記の3つの点で各国の争点があったと言われています。
r.nikkei.com


1)復興基金の無償(grants)有償(loans)比率
https://www.fitchratings.com/research/sovereigns/eu-recovery-fund-is-step-towards-more-resilient-eurozone-23-07-2020www.fitchratings.com


2)復興基金授与国の「法の支配」問題
jp.reuters.com


3)次世代投資としてのグリーンディール
www.climatechangenews.com


前述の日経記事、或いは他の国内記事でも1)の争点ばかりクローズアップしており、有償比率を上げようとする倹約5ヶ国(オーストリア、オランダ、スウェーデンデンマーク及びフィンランド)とスペイン・イタリアが対立、前者へEU基金供出金の割戻しの便宜を計る事で妥協を引き出した……的な流れが強調されています。


しかし日本ではあまり報道されない 2)におけるハンガリーポーランド、或いは 3)におけるポーランドと倹約5ヶ国の全面的な対立こそが本来の図形です。


デンマーク(CPHpost)スウェーデン(JakartaPost紙)オランダ(IrishPost紙)フィンランド(NewsNowFinland紙)オーストリア(MacauBusiness紙)すべての宰相が今回の復興基金を人権意識・環境意識(及び財政規律)の再評価の場と捉え、EU的思想と異なる立場をとるハンガリーポーランドと対立していました。


5ヶ国は有償比率については比較的早い時期に妥結点を見いだしたものの、法の支配や環境投資の姿勢に応じて復興基金供与を調整するシステムを設置するよう、ギリギリまで粘っていたのです。


言い換えれば、倹約5ヶ国は復興基金を盾に法の支配やグリーンディールといった次世代EUの姿勢(NHK解説アーカイブより)に沿うよう加盟国に強制していた、という事です。


そしてこの時期に丁度、人権・環境意識に関するEU的思想に急速にシフトしたヴィシェグラード国家からこそ、スロバキアは経済規模やコロナ状況下のダメージに見合わない多大な恩恵を受ける事になったと考えられます。


EU的思想を共有している事を証明するため、更に対中観の踏み絵まで踏んだスロバキアは、まさに復興基金の目的“次世代のEU”の象徴だった訳です。


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4. 視点を変えて……EU自身は対中包囲網に参加していない


さて、ここで少々混乱をきたす話を記しましょう……スロバキアEU思想同調の証として対中観の踏み絵を踏ませたEUですが、実のところEU自身が中国との対決姿勢を示したのか、という点には微妙な回答しか出来ません。


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香港国家安全法に対するEUの対応案(EUホームページ)のうち具体的に行動に移されたもの、犯罪者引き渡し条約の中断それ自体は単なる中国側からの活動に対するカウンターアクションに過ぎないのです。海洋進出を通じ直接中国の干渉を受けている、イギリスを含む環太平洋諸国とは事情が異なり、EU諸国には中国そのものを掣肘する必要性が無いのです。


結局のところ、EUとしては中国自身ではなく中国の活動……それも香港国家安全維持法やコロナに関するインフォデミック発信だけでなく、保健外交そのものすら……に対する加盟国の視点を統一したい、という思いが最も強いのでしょう。


特に2020/03/14のEU非加盟国への医療供給制度の変更セルビアからの非難(BalkanInsider紙)反EU勢力のネット攻撃材料を提供した(Medium紙)轍を踏まないよう、EUの政策に同調する味方を集めること。


そして……ここが重要ですが、EUの政策に従わない親ポピュリスト的或いは独裁政権への掣肘(日経電子版・なお8/9予定のベラルーシ大統領選挙ではチハノフスカヤ女史が対立候補として名乗り出る(東京新聞)スロバキアと類似の状況が発生しています)という形で、ヨーロッパの思想的統合を謀ること。


極端な言い方ですが、中国による香港国家安全維持法のような直接的なものだけでなく、いち早く展開された保健外交それ自体がEUの思想に反する親ポピュリスト的・独裁的政権への助力となるからこそ、EU加盟国に中国政策への反対表明を唱えさせようとした、と考えられます。


EU諸国による対中観の共有とは、中国自身ではなく「反EUポピュリスト国家のツールとして使われる中国」という見方の共有であり、例えばスロバキアが対中観でEUとの認識を共有したと言うことは、スロバキアから反EU主義へのツールを遠ざける事だった訳です。


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その意味で、EUアメリカや環太平洋諸国を中心とした勢力とは距離をおいています。


上述のEU外交・安全保障上級代表Josep Borrellが自らのブログ


>米国や他の民主主義諸国との間で、私たちは対処しなければならない中国の行動の本質について多くの深い懸念を共有


しているとは記しても、米国や日本、インド、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどの対中包囲網には「参加」せず、寧ろ過去の安易な同調の結果


>中国について多くの点で米国に同意しているという理由だけで、私たちは最近、米国の外交政策に関して選択された方法が、EUに相談することなく、本質的に一方的なものであり、時にはEUの利益に実質的に有害であった


事に後悔の念を記しています。


自由、民主主義、人権、法の支配といった価値観を対中包囲網を形成する国家群と共有したとしても、この価値観に基づく国際秩序の負の部分、“一方的で有害な”米国の外交政策を許容していません。 


“一方的で有害”という非難に動じず対中包囲網を敷き得た米国のリーダーシップこそ、EUが今最重視している法の支配という価値観と対極にある、ポピュリストとしてのトランプの本質そのものだからです。


中国は勿論アメリカも、EUにとっては基本的価値観を「比較的」共有していない対抗勢力であり、本質的には共にEUの優先攻撃目標である域内ポピュリスト勢力の活力源なのです。

                   (了)



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※実はEUの思想的問題にはもう一つ、EU復興基金でもグリーンディールの形で取り上げられた“持続可能な(Sustainable)”成長戦略があるのではないか、と考えています。


この持続可能という言葉に付属した持続不可能な目標こそが、財政支援やテクノロジーまで含めた非人権的手法による中国の魔法を、ポピュリスト勢力のみならずそれに敵対するEUさえ最終的に受け入れざるを得ない理由ではないかと。


いつかはこの中国の魔法と、それをいわゆる“基本的価値観を共有する”国家にまで受け入れさせた中韓発のUHCやSDGsについて、文章を纏めようと思っているのですが……実はここ数ヶ月作業中なのですが……少々厳しいです。


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おわりに


……2020/08/05より、遂にコロナウィルス蔓延以降初めての茂木外相の外遊が始まりました。


www.mofa.go.jp


ここで面白いのは、各国がコロナ終息後を見据えた外交関係を中心に交渉を行うのに対し、あくまで茂木外相は(カウンターパートであるラーブ外相ではなく)トラス国際貿易大臣との経済パートナーシップ協議を外遊のメインと考えている事です。


トラス国際貿易大臣は最終的にCPTPPまで視野に入れ、既に日本の他ニュージーランド等との会談を行っており、日本としては6月のテレビ会談で一致を見なかった部分を含めた詰めの交渉を行う……という事だそうですが、記者会見での〆めの一言


>いえ、それはその昨日ラーブ大臣としっかりとお話をしましたので、今日はまさに交渉をしました


トラス大臣との貿易交渉こそが、コロナ蔓延期の保健外交で得点を上げられなかった自分の腕の見せどころであって、対中観の共有や安全保障に関する外相会談なんていつまたひっくり返されてもおかしくない『お話』レベルに過ぎない。


ここには各国が培った対中観を梃子に国際秩序に繋がる交渉を見いだそうとするのではなく、純粋にその活動だけから現状の中国や自国の対外能力を見据える、茂木外相のリアルな視点を感じ取ることが出来るのではないか、と思います。


……まあ実際、インドやサウジアラビアも通商やデジタル交渉を優先して外遊を行っていたのですが。