さて、安倍政権における外交の性格をひとつの言葉で表現するとすれば……一般的に言われる国家安全保障の国際連携や積極的平和主義、あるいは地球儀を俯瞰する外交ではなく……私は「人間の安全保障」に基づく「どの国も取り残さない」外交であったと考えます。
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国家安全保障の国際連携……もっと平たく言えば対中外交について考えれば、領土的挑発に対してこそ強硬ですが、そもそも中国が多くの隣国を具体的に脅かすからこその連携です。初めから中国封じ込めありきの連携ではありません。
さらに経済外交では意外にも中国に融和的なだけでなくその果ての罠、不当廉売の罠や貸す側も陥るであろう債務の罠などへの忠告的警告を行っています。また諸国との二国間交渉ではWin-Win-Lose外交……中国やトランプ政権下のアメリカが好んだ「交渉相手との排他的協定を通じて第三国を取り残す」外交手法を原則選択せず、わざわざ調整に手間のかかる多国間協定への参加を促すWin-Win-Win手法を用います。
地球儀を俯瞰する外交の代表と評されているFOIPもかつてのダイヤモンドセキュリティ構想の様な「価値観共有しえる国を選別する」内向けの連携強化と異なり、アフリカ等どう転ぶか不明な「価値観から取り残される諸国の回帰」のための協力、その国なりの民主化を目指すローカライズされた支援が前提です。そもそも彼らに求めるのは価値観をもって対立する米中陣営からの二者択一ではなく、それぞれの陣営の傘の中で出来る分だけの国際間の約束ひとつでした。
極論すれば中露北朝鮮といった「ルールベースの国際秩序を露骨に破棄しようとする特定国家群」に対してすら、その野心を自国・他国民への相互安全保障の約束ひとつひとつで抑えてくれれば良い。ひとつの約束事、国際規範遵守という信用が積み重なれば陣営を越えた国家そのものへの信頼も築き得るし、そこまで至れば実は好き勝手な政策を続けるよりも国際秩序や民主化に準拠する方が国益にかなう事を自覚する可能性もありえます。
もちろん彼ら国際秩序の塗り替えをアイデンティティとする国家群にそんなことが出来る訳はなく……例えば国際的な供給産業を後ろ盾にした中国は自らの供給義務不履行を契機に多くの信頼を失った訳ですが……それでもここに至るまで日本は韓国以外には報復や陥穽ではなく、相手への改善提案を選択しました。これは日本の態度が単なる姿勢硬化の大義名分やトラップの類ではなかったことの表れではないでしょうか。
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また、特に人間の安全保障を自らの専門と任じる人権擁護関係の方々にも安倍外交との関係に違和感を持つ方がいることでしょう。ただしこちらは人間の安全保障の多義性、というよりむしろ本流である「行動主体はそれぞれの国家」という人間の安全保障の大原則を考慮せず、サポートであるべき自らを人権の観点から安全保障の軽重を見極め選別する存在だと勘違いした末の発想ではないかと思われます。
そもそも人間の安全保障という概念が生まれた当初、専門家らの感想は「人権という西欧的先行概念に対する差別化が難しい」というものでした。それゆえ彼らはこの概念を人権擁護の政治的配慮に基づく妥協的方法論と認識し、用語としての使用を避ける動きすらありました。2000年代の国連フォーラムにある下記の言葉は、まさに彼らの認識を象徴していたと言えるのではないかと。
>まず機関、それに伴うマンデートとアジェンダと財源が存在し、次に何を助けるか?という順番になっている。それを逆転させる必要がある→その意味では、既存の枠組みを守りたい人にとっては破壊的な考え方
第28回 「人間の安全保障:概念の発展と実践」 | 国連フォーラム
例えば人間の安全保障の代表であるユニバーサル・ヘルス・カバレッジの普及のため日本政府が各国財務部門や世界銀行との交渉に重きを置いたことを顧みれば、彼らの言葉がどれだけ現実離れした代物であったかが分かると思います。
国民に対する価値観と能力を国家政権で共有・尊重しあい、政治的・経済的開発と費用捻出を通じて取り残される側の存在を減らす。それを国際的に拡大することこそ人間の安全保障でしょう。補佐であるステークスホルダーが国家のありようを軽視したり、まして何を助けるかを専門家の好みで選抜するため国家体制を棄損する行為は「誰も取り残さない」ことの否定であり侮辱です。
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共有価値観の具現化たるルールベースの国際秩序は、爾来安倍外交のみならず西側主要国が自らの外交理念とする所でした。が、彼らはこのルールの拠り所を人権あるいは自ら先行する欧米的・民主主義的価値観に求めます。確かに学問上は「法の支配」といえばそのようなものであり、国際秩序に立ち遅れた国家を失敗国家と揶揄し政府を糾弾するのが常でした。日本でもセキュリティダイヤモンド構想や自由と繁栄の弧の時点では同様のものだったと考えられます。
しかしこのような西側特有の価値観共有による国際秩序に縋った結果、途上国や彼らの数に頼む特定中進国による『(内政不干渉原則に代表される)国連原則および国際法に含まれない、少数による内向けで身勝手なルール作り』という批判に抗い難いものになっていました。スノーデン事件によるアメリカのデータ収集発覚が問題となり、サイバー法のイニシアティブを中露率いるOEWGに奪われたのはこの時代のひとつの象徴です。
安倍外交では各国政府がみずから自国・他国民を保障する国際規範を積み上げる事で国際秩序の協調に至る道筋を見出し、ある時期からルールの根本に「取り残さない人間の安全保障」を据えました。
人間の安全保障自体は既に日本でも小渕政権以降の伝統的外交方針に名を連ねていましたが、その融和的・妥協的姿勢は以前から風見鶏的外交と揶揄されるものでした。しかし安倍政権はその長期安定化に伴い「他国を取り残さない」義務だけでなく、信頼をひとつひとつ積み重ねる「他国政権を責任から取り残さ『せ』ない」義務を外交理念とする新たな局面を迎えます。
取り残さない対象は主に安倍外交自らの拠り所であるルールベースの国際秩序に乗り遅れた国家群とその国民でした。発展途上国はもちろん中進国、さらに言えば先進国からも人権・環境的観点からEUや国連と対立的関係にあった(彼らの言う)右翼ポピュリスト国家が含まれます。彼らに対する西側的視点による批判やあるいは彼ら自身の反発にむやみに寄り添わず、まず国内事情に伴う国際秩序対応の立ち遅れに着目する。この対象国の状況そのものに寄り添う視点から、彼らの信頼回復を目指した開発支援と擁護の外交を展開していきました。
また「時代に即した」と称する新たな枠組みではなく、既存の枠組に注釈を重ねる方法を重視し、枠組みを作る側の押し付けや自らの現状に合わない国家の反発を緩和する方法に腐心しました。
この辺りは中韓ほか周辺国家、あるいは彼らに肩入れする国際団体による「力や威圧による一方的な現状変更」に抵抗し続けた経験が生んだ感覚かもしれません。彼らが行使したのは軍事力や経済的支配力ばかりではなく、特に活用したのは大戦被害者という立場をアピールした一方的な道徳的威圧です。目標に届かない他国の現状をSDGsに基づく一方的な道徳的威圧をもって思うがままに変更しようとする国連やEUの言動も、日本にとってはやはり「力や威圧による一方的な現状変更」と感じられたのではないでしょうか。
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もちろん「どの国も取り残さない人間の安全保障」という思想にも留意点はあります。人間の安全保障の主体がもともと国家であることから、取り残さない対象も国家になります。それゆえに国家の非人権的行動に際し「テロ組織への国民保護である」という弁解への迅速な糾弾が出来ない、それどころか擁護に回る事にすらつながりました。2014年クリミア問題でのロシアへの擁護も単なる国益ではなく、安倍外交の理念に基づく末路と言えます。
※2020年ウクライナ侵攻に際し岸田政権が早々に日本が真逆の態度を示しえたのは、ロシア側が首都キエフへの進攻という他国民安全保障への疑うことなき侵害に踏み切ったからこそです。また醜悪ながらも先日の「イスラエルの正当性を全面的に認める」G7カナダ共同宣言を帰国後の石破首相が翻し、数日前のイスラエル糾弾発言を改めて自らの真意とした - 日本経済新聞のも、結局のところイスラエルの行動が当時のロシアと同じ文脈を辿っていたからでしょう。
また二国間外交の場においてWin-Win-Lose戦術を避けるが故、相手国の利益を確約する交渉ではなく逆に彼らに国際秩序への譲歩を求める交渉になります。それゆえ国際秩序から取り残されることをリスクとして容認している国家、特にこのリスクを国民側が後押しする国家との交渉は困難であり、多くの手土産が必要なのはもちろんそれに見合う成果どころかただ食い・逆ねじを食らわされることもあります。これらの幾つかが日本国内の保守派・自国優先派の知る所となり、彼らの中で様々な憶測と国防論を生み出したことは記憶に新しいかと。
ルールベースの国際秩序自体に反駁する中露はもちろん、2019年サミットで民族問題の背景から大阪トラックに反旗を翻したインド、凡そシェフの独断により安倍元首相を侮辱したイスラエル……あるいはアメリカ・トランプ政権も、日本の苦労を当たり前のごとくアメリカファーストに利用したという点では手土産に合わない外交相手だったという側面を否定できません。そのなかでも特に国民レベルで日本外交を根本から否定する韓国との外交は、その徒労と保守・自国優先派からの突き上げに苦慮した典型例と言えるでしょう。
ここまでのビジョンを就任当初から安倍元首相が持っていたか、その点については疑問の余地は勿論あります。取り残さない外交を展開するには日本自身が取り残されない状況を確保する必要があり、それが可能になったのは安倍政権が長期安定政権を築くことが出来たからです。そのためには皮肉にも保守・自国優先派による世論の後押し……開発支援という名目の金銭投入が具体的に日本の味方を作っている感覚の醸成……は不可欠でしたし、菅政権への交代を見据えた政権末期には彼らの言動にビジョンごと引っ張られていた可能性は否めません。
一方でナイロビでFOIPが発表された2016年時点では既に「取り残さない人間の安全保障」に基づく安倍外交はほぼ固められていたと考えられます。その実効性はおよそ2019年を前後する期間でしたが、国際的発言力の高まったこの短い期間に「どの国も取り残さない人間の安全保障」の一環としてDFFTや京都コングレスの議題……それぞれ国を当然のごとく越境する電子情報や国際司法に対し、国家がどのように自国と他国の人間の安全を保障していくか……を世界に提起しました。
取り残さない安倍外交とその後継政権に対する国際的評価はコロナ禍で世界中が内向き対応を強める中、あるいはロシアによるウクライナ侵攻に際し各国が対露外交方針を迷う中でも、国際規範に基づく各国の指標として維持されていたと思われます。
はい。山上事件のヒステリックな人権擁護と糾弾に飲み込まれ、後継岸田政権への信用が地に落ちるまで。この騒乱と安倍外交を支えた当時の政権重鎮たちへの逆風の中、日本は人間の安全保障の外交上のイニシアティブも岩盤支持層も急速に失っていきます。
そして昨日。かつての岩盤支持層であった保守・自国優先派の離脱と反発の末路として、人間の安全保障の一翼を担った人物が再び野に下りました。安倍外交のレガシーは恐らくここで終焉を迎えたのでしょう。
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これ以降の話については、私はもう語るつもりはありません。
山上事件以降がんじがらめにされた岸田政権の苦衷も、その後の総裁選で露出した保守・自国優先派中枢への冷や飯食いたちの反動が石破政権誕生の直接の布石となった事も。かつて私が弁護する形となった岩屋元防衛相(現外相)、彼が当時の組閣と野党糾合の背景にしようとした超党派石橋湛山研究会についても、私には文章にする気力が残っておりません。
なんとも、締まらない形で文章が終わってしまいました。すみません。さようなら。