中国のWet Market衛生政策(1)

2020/04/07訂正

1-1章の内容について訂正あり。章末まで


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ホットな話題は冷めるまであまり取り上げたく無かったのですが……新型コロナウィルス絡みの話です。

もちろんマスク着用の有効性とか、感染者の隔離検疫政策についての話ではありません。

今回の感染拡大に際して国内では露骨なほど語られていない、国際的な枠組みから逸脱した中国の市場衛生についての話になります。


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はじめに:


一般的な見解として、今回の新型コロナウィルス感染の始まりは武漢の市場(Wet Marketと称される、獣畜水産物の解体も行われるオープン販売市場)で取り扱われた鳥獣によるものとされています。


このWet Marketについては2003年のSARS騒動の際にも感染源として問題とされており、各国で近代的チェーンによる代替あるいは市場そのものの衛生指導といった解決を求め続けていました。


が、当時から比べてもインフラ整備が進み、衛生システム導入のための土壌が整ったはずの中国で、新たに新型コロナウィルスがこのWet Marketで発生。

市場を利用する者や人的仲介を通じて都市中に、更に発達したインフラの恩恵を受けて国内外にウィルスは広がっていった訳です……


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この新型コロナウィルスの国際的伝播の過程、特に国際保健規則やWHOの勧告に対応した日本の入国・検疫管理については、巷に多くの記事や文章が存在しておりますのでここでは特に触れません。


今回論点としたいのは発生時点の問題、

  • 本来先進・中進国では感染症が蔓延しないよう衛生管理が発達しているはずであるのに、中国ではその仕組みが機能していなかったこと。
  • 今回のコロナウィルス発生は、国際的保健システムが中進国での感染リスクを軽視した、或いは中進国の衛生管理を補完しうる国際的な取り決めすらこの領域への介入に失敗した結果なのではないか、ということです。


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1. Wet Marketと中国の政策


www.npr.org

“Eating wild animal is considered a symbol of wealth because they are more rare and expensive. And wild animals is also considered more natural and, thus, nutritious, compared to farmed meat. It's a belief in traditional Chinese medicine that it can boost the immune system, you know?”

〉野生動物を食べることは、より希少で高価なため、富の象徴と考えられています。また、野生動物も養殖肉に比べてより自然で栄養価が高いと考えられています。免疫システムを高めることができるというのは伝統的な中国医学の信念ですよね?


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1-1: 大規模流通への移行政策と取り残されたWet Market


2003年のSARS騒動以降、中国では一貫してWet Marketからスーパーマーケット等の近代的流通形態へと移行を続けていました。

というより中国政府はSARS発生以来一貫して、Wet Marketに対応困難な衛生基準による圧力を与え、廃業もしくは衛生管理を行いうる大規模流通に組み込まれるよう促し続けました。

例えば中国国連事務局のHPでは『中国食品の品質と安全性』のページにおいて、Wet Marketの基盤を成す小規模生産者に対して行政区域を越える販売やスーパーマーケットへの納品を禁止しています。

実際、2006年~2007年のサンプル調査では要件に達した業者は5,385件。5,631件の業者が閉鎖され、8,814件が休止……およそ7割の中小業者が廃業状態となりました。
www.china-un.ch


国際的NGOとの共同によるWet Marketへの働きかけも、例えばWWFのように

〉「この状況に特有なのは、中国の家禽市場が移行期にあり、小さな裏庭の農場と湿った市場からより大きな商業農場と小売市場に移行しているという事実です」

という前提のもと、フランチャイズ協会や包装業者と協力して大型流通市場への移行という中国政府の政策を支援しておりました。移行過渡期にある小農とWet Market側の衛生管理に目を向ける様子は見られなかったのです。
www.worldwildlife.org


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このようなWet Marketに対する中国政府の高圧的対応は、官民によるWet Marketの全国的衛生支援を実施したインドネシアや、
www.slideshare.net


WetMarketの機能を残したまま、新たなデザインで市場の再構築を図るハノイ
www.pps.org


あるいは自助努力で魅力的店舗を追求する卵屋をクローズアップ、顧客回帰を応援するシンガポールメディアなどとは対象的です。
www.todayonline.com


……“はじめに”の所で一般論として『近代的チェーンによる代替あるいは市場そのものへの衛生指導』というアプローチをWet Marketに対して行い続けた、と書きましたが……特に中国政府ではWet Market存続を前提とした後者のアプローチを行った痕跡は、全然見当たらないのです。

※唯一このアプローチについて記述されていたのが下記2012年12月のFoodSafetyNews、

www.foodsafetynews.com

“Continuous Improvements on Food Safety in China”章なのですが、この記事で論拠としたMarghereta Potoのレポート“Food and nano-food within the Chinese regulatory system: no need to have overregulation”には政府がWet Marketへの指導を具体的に行った旨の記述は確認出来ませんでした。


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結果、下記2020/01/14のSeafoodsourceその他の報道に見られるように、中国のWet Marketは新型コロナウィルス問題以前に、スーパーマーケットを到達点とする大手流通網に淘汰されるパターンが増加していました。

www.seafoodsource.com]

ただし、中国の文化構造に微妙に絡みついたWet Marketはその伝統性を盾に地方を中心に存続し続け、未だに市場全体の30~59%をフォローしているとされています。いわば政府の意向により緩慢な死を迎えつつあるのが、中国のWet Marketの現状だった訳です。


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2020/04/07訂正

1-1章では中国政府によるWet Market存続を前提とした衛生政策が皆無であった旨記しましたが、2015年食品安全法からの数年間に異なる展開が発生していたことが確認されました。

詳しくは『中国のWet Market政策(4)』まで
tenttytt.hatenablog.com


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1-2: 中国Wet Marketの清潔意識と選択肢


さて、この淘汰の流れの中で武漢のWet Market自身にはどのような選択肢があったでしょうか。


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まず第一の、というより世界中が望んでいた『Wet Marketの衛生基準向上』という方向性は、中国では政府はもちろん自力、あるいは海外の支援ですらも考慮の埒外にあったと思われます。


https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=http://www.tvet-online.asia/issue10/gengaiah_etal_tvet10.pdf&ved=2ahUKEwjUg4yMj9jnAhU-yosBHUifBZ0QFjABegQIBhAB&usg=AOvVaw3hwG0NYxdWDmCoS_2SkPg_&cshid=1581927115747

“Skill development in the informal sector in China, Thailand and India – A case study of street food vendors”
Uma Gengaiah , Jun Li , Sirilak Hanvatananukul , Nonthalee Prontadavit & Matthias Pilz



〉タイとインドのベンダーは新鮮な食品を準備し、提供しているという研究結果が出ました。

〉タイのベンダーは、食品を準備して提供するための衛生技術を実践しています。タイ政府公衆衛生局の職員が定期的に訪問し、衛生確認を行っています(中略)

〉インドのベンダーは毎日生鮮食品を調理していますが、翌日使う残り分は凍結処理しません。屋台は衛生を実践しますが、その判断は個々のベンダー次第です(中略)しかし屋台の清掃や食品のカバー、手と爪の清潔や従業員への散髪依頼など基本的な点には注意を払います。

〉中国では、衛生習慣はベンダーの個々の選択に依存しています。

(以上第六章より)


〉タイでは回答者の33%が健康衛生教育を受けていましたが、中国やインドではそうではありませんでした。

(以上第七章より)


……ニューデリー・上海・バンコクのストリートフード店員(各10~20名)の職業訓練調査によると、上海では彼らの中に衛生指導を受けた人間が一人もいませんでした。それも、formal trainingを受けた人間がサンプルの20%存在したにも関わらずです(ニューデリーでは前者5%/後者10%、バンコクでは30%/33%)。

更に中国においては、職務の内容や技術の要諦は研修ではなく経験から学ぶ意識が強いこともこのレポートでは記されており、経験から学べない職務……例えば衛生意識の向上については意識を回すこともなかったと思われます。


また海外からの働きかけという面でも、前述したWWFはもちろん、例えば家庭や住民を対象としたJICAの『家庭保健を通じた感染症予防等健康教育強化プロジェクト』、あるいは発展途上国に対するWASH(Water,Sanitation and Hygiene)キャンペーンを展開するUNICEFやWHOも、その衛生活動を中国のWet Marketにまで広げた様子は確認出来ません。


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1-3: 危険な高付加価値市場に活路を見出す


衛生基準を向上させず、また価格上の利点も近代的チェーンに追い付かれジリ貧となったWet Market、その中でも武漢の一部経営者が付加価値の高いニッチ商材として選んだのが野生生物だったのでしょう。

冒頭のNPR記事にもある通り、野生生物の摂取は一般に誤解されるような貧しい地元民の代用食ではなく、中国の医食文化における特別で高価な摂取物にあたります。

もちろん食料だけではなく、漢方薬のような伝統的医薬品も対象となります。特に歴史的権威である李時珍(Wikipedia参照)の故郷、湖北省省都である武漢では他の中国大都市圏と比較しても伝統的医食需要がこれまた伝統的市場であるWet Marketに残り、むしろ経済発展に従って育まれたと考えられるのです。もちろんこの医食文化では、より珍奇な摂取物として制限された野生生物を扱うことも含まれます。

thehill.com
このThe Hill紙では、野生生物を扱うWet Marketを政府が閉鎖しても彼らはブラックマーケットに潜り込むだけだと伝えています。

しかしThe Hill紙が有効と考えるボトムアップアプローチも、実は狩猟者を対象とした啓蒙活動に過ぎず、実際の医食市場の需要を考慮したものではありません。

そもそも本来の顧客を引き留めるための衛生基準に背を向け、危険な高付加価値商材を危険なまま扱うニッチ市場となってしまった武漢のWet Marketは、既にブラックマーケットそのものだったと言えるでしょう。


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……何はともあれ中国政府がWet Marketの存在を淘汰の過渡期と考え、その営業状態の劣悪さを見過ごした結果、より危険な方向に進化した武漢Wet Marketが新型コロナウィルスの温床となった事は、ほぼ間違いないと思われます。


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付記:


ここで「野生生物の摂取」という言い回しをしているのは、恐らく武漢のWet Marketでの感染源は食肉ではなく漢方薬の方ではないかという個人的な思いがあるからです。というのも、
s.japanese.joins.com
この中央日報その他各種メディアが報じたように、新型コロナウィルスの宿主と考えられているキクガシラコウモリ湖北省で生息せず、武漢の市場で食肉として取り扱っていないからです。前述した中国の政策により、国内小規模業者が域外商業自体を禁止されている事からも、この点は間違いないでしょう。

そして“実験室から流出した”などという陰謀論を信じない限り、このウィルスは夜明砂(ウチダ和漢薬HP)あるいはその原料……キクガシラコウモリを始めとする蝙蝠の糞がこの武漢に集められ販売されたもの……に因る可能性が考えられるからです。

残念ながら、今回問題となった武漢のWet Marketでこの夜明砂を取り扱っていた証拠は発見出来ませんでした。しかし武漢の次にコロナウィルス感染者が発見されたのが、やはり漢方薬で知られた広東省と上海であったことも併せて、漢方薬も衛生基準を省みず取り扱われていた、と見なすのに十分な状況証拠だと思っています。そういえば大邱も(ゲフンゲフン


……いえ、別に感染源に興味が在るわけではないのですが、この「漢方薬」については後日触れるつもりですので敢えて明記した次第です。



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次回、『中国のWet Market衛生政策(2)』に続きます。