中国のWet Market衛生政策(2)

『中国のWet Market衛生政策(1)』の続きとなります。


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2. 国際社会からの衛生支援と中国

はじめに:


中国のWet Marketに対する衛生政策が、結局その存続を前提としていない強圧的なものであったことと、その衛生政策以上に政府から存続が求められていないこと自体を恐れたWet Market側が危険な商材に活路を見いだしたこと、については第一章で記しました。

少し視点を変えて、諸国家による衛生支援とはどのようなものかを考えると、主に特定の発展途上国に対する二国間支援(日本ではJICAが窓口)と複数国家が国際機関(WHOなど)に委託して行う多国間支援といった支援がありました。もちろん各発展途上国などの必要に応じ、水・洗浄インフラや衛生教育、或いは財政支援など多岐に渡ります。

特に近年の特徴としては、SDGsやUHCの考え方を拠り所とする国家横断的な衛生思想であったと思われます。


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保健や衛生はもちろん、環境・経済成長・個人の生活水準などを「取りこぼしなく」維持するため、大量の目標やターゲットが盛り込まれた「国連加盟国が2030年までに取り組む行動計画」として2015年に採択されたSDGs(Sustainable Development Goals)、
www.unicef.or.jp

この多数のターゲットから保健や衛生に関わるものを統合させる「各国国民の誰もが、経済的な困難なく保健医療サービスを受けられるための仕組み」として設定されたターゲット3.8のUniversal Health Coverage(普遍的な健康保険)の二つ。
www.jica.go.jp


そしてSDGs・UHC共に感染症対策には高いプライオリティを置いており、特にUHCについては2015/09/11の『平和と健康のための基本方針』(外務省HP)

公衆衛生危機とUHCを二つの柱とした……というより

  • 感染初期対策のための緊急国際財政支援という広義のUHCと
  • 感染症予防・検知に繋がる保健サービスアクセスという形のUHC

つまりUHCの二つの側面による保健システム強化を通じ、感染蔓延(及び災害)危機に対抗する姿勢が示されています。


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2-1: 衛生支援享受国からの卒業


さて、このように発展途上国の保健アクセス向上支援を通じて、国際的な脅威となる感染症を予防・検知しようとする試みが為された訳ですが、経済発展に成功した中国については、ちょうどSDGsが国連で採択された2015年を目処にこの支援政策の埒外となりました。

元々Wet Marketについては国外からの衛生支援が見当たらない旨は前章で記しましたが、中国の経済的隆盛に従い保健支援そのものから撤退していったのです。

例えば日本では、2018/10/26の安倍首相と李克強首相の会談によって対中ODAを完全に終了した件が知られていますが
www.cn.emb-japan.go.jp
2008年以降は「草の根無償」を除く大型支援が、また中西部地方の格差対応として例外的に継続していた「草の根無償」も実際には2015年度でほぼ終了。技術援助についても前述したJICAの『家庭保健を通じた感染症予防等健康教育強化プロジェクト』等が2016年1月で終了した事により、以降中国への日本政府による保健支援は終了しています。


〉我が国が中国を一方的に支援するのではなく、日中両国が対等なパートナーとして、共に肩を並べて地域や国際社会に貢献する時代になったとの認識の下、対中ODAを終了させる

ことになる位、中国は経済的に発展しており、原則自らの力で諸問題……例えば国民を幅広くフォローし得る保健サービスの提供や、感染症を蔓延させない公衆衛生を構築出来ると見做したのでしょう。実際この時期の中国には、その自信と自負に溢れていたと思います。

※自信と自負に溢れて「やった事」については第四章以降に記す予定です。


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2-2: 迷走する保健・衛生意識


……もちろんこのような自負など現実には通用せず、自国のみならず周辺国にも影響を及ぼし続けた末、今まさに最大レベルの感染危機を招いている訳ですが……そこには現代国際的に共有される常識から乖離した、中国独自の保健意識が存在するからだと思われます。


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近代的で清潔な大規模流通がその地位を奪うと信じて、21世紀初頭の衛生水準すら満たし得ぬWet Marketを延々と放置し続けた衛生戦略だけでなく、

新型コロナ発生後の対策にも

m.news.naver.com
有毒な消毒テントを通らないと共同団地への出入りが出来なかったり、

www.healtheuropa.eu
ドローンを使用した農村部の消毒を検討したり

www.pharmaceutical-technology.com
省の保健委員会が各病院に漢方薬併用を要請したり

www.xinhuanet.com
国民の行動封じ込めのため、電子マネーに感染申告アプリを導入したり


……何より感染が発覚次第、武漢を都市ごと閉鎖したり。


実際どこまで本当なのかは判りませんが、このような前近代性と先進性を併せたトンチンカンな情報が飛び交っても、中国ならさもありなんと思われてしまうほどです。


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もちろん各国による防疫政策を見れば、それぞれのポリシーに基づく対応が他の国には喜劇に見える。そんな側面もあるのでしょう。

しかしそういう政策面とは別に、中国の防疫政策にはひと昔前の防疫知見と独自の要素(先進的・伝統的両面で)を融合することで魔法のような効果が得られる、と半ば本気で信じているかのような特殊な印象が見受けられるのです。


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2-3: 中進国ゆえの拠り所


このような保健衛生意識が中国で形成された理由の一つとして、先進国が各種支援から後退してしまった中進国ならではの事情があると考えられます。


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商業向けの研究ではない公衆衛生分野では、先進国の最新の知識や技術は発展途上国を中心に伝播されます。

一方中進国ではかつて自らが支援を受けていた頃の技術・教育が残存してしまい易く、古い思想の公衆衛生措置を強権的に……またそれ故に事態が悪化するまで放置しがちなのではではないか、と思われるのです。


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さらに、発展途上国を卒業した際の経済的成功経験が、公衆衛生技術のような先進諸国が長年積み重ねた分野を軽んじ、効率的手法を重要視する考え方を培うことも考えられます。

先端的科学技術で手早く公衆衛生システムを刷新させること、あるいは先進諸国が見過ごした伝統的手法の効能を際立たせること……これは技術支援という効率的アップデートを失った末、別の効率的手段を駆使して先進国を上回る形での問題解決を図ろうとする、中進国ならではの現状とアイデンティティの裏返しなのでしょう。


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あるいはその効率追求ゆえに、予防的衛生観念そのものが市場原理やはるか昔の伝統的観念に現場で敗北してしまう問題があります。

結果として、伝統的商業モラルによって個人の衛生意識が現場で塗り替えられる……それも国力や技術力の高いはずの国の方が、伝統的商業モラルにより個人の衛生意識を払拭しているのは前述のレポート通りです。
https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=http://www.tvet-online.asia/issue10/gengaiah_etal_tvet10.pdf&ved=2ahUKEwjUg4yMj9jnAhU-yosBHUifBZ0QFjABegQIBhAB&usg=AOvVaw3hwG0NYxdWDmCoS_2SkPg_&cshid=1581927115747


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……中国におけるWet Marketの衛生問題が歪んだ形で蓄積されたのは第一章で記したとおり、近代的で効率的な流通システムを推進する政府による淘汰措置や、Market側の自主的な衛生の受入拒否、危険な高利益商材の採用によるものでした。

地道でリターンの少ない努力の否定と、ある種魔法的な手段によりリスクを一気に片付けようとする発想。

その根底にあったのは、ODA等の支援を失った中進国の合理的な暴走であり、あるいはそのように導いた国際支援側の甘さもあったのかも知れません。


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付記:


……今までの流れとは別の話になりますが、今回のコロナ蔓延を期に、中国の魔法を信用してしまう最先端の感染症専門家が発生しています。
www.sciencemag.org


2020/02/28公開のレポートを作成したWHO調査派遣団長Bluce Aylwardが同レポートで未だに

〉積極的かつ徹底的な症例発見と、即時のテストと隔離を最優先(P21抜粋)
している事を筆頭に、


電子マネーアプリ活用による国民封じ込めを「AI(人工知能ビッグデータによって促進され、近隣レベルでの現場の機械によって非常に効果的に行われた、古き良き社会的距離と隔離の組み合わせだった」と評した香港大学のGabriel Leung、


広東省の32万人スクリーニングの結果を基に
「この(陽性者0.18%という)データは、我々が現状多かれ少なかれ想定していた(大量の軽症患者による)致命的なリスクが発生していないことを示しています。」と評したジョン・ホプキンズセンターのCaitlin Riversらの発言を見ると


国際都市で発生した封じ込め困難な不治・致死性感染という、自らの伝統的手法が通用しない問題に遭遇した末

  • 検査法の不正確さをフォローする、先端技術(国民管理ソフト)による感染率実数把握の継続
  • 都市レベルの囲い込み政策による、治療法発見までの時間稼ぎ


といった、現状の心配事を一発で片付けられる中国謹製の魔法に縋ってしまう、専門家の脆さを感じてしまいます。そんな魔法が現実には通じていないからこそ、まずは感染予防と保健アクセスの向上を進めるよう、国際社会は支援し続けて来たはずなのですから。

広東省のスクリーニング結果や1/23からスタートした封じ込め効果の想定値に疑問を抱いていれば、今の韓国の医療崩壊も、何故かイタリア内陸の小都市から始まったEU諸国の蔓延も防止出来たかも知れませんし。


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……いえ、別に専門家の防疫政策知見に意見を述べたい訳ではなく、ただ今後中国の魔法に魅了される専門家が増えていくのかな、と。


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『中国のWet Market衛生政策(3)』に続きます。