TICAD8:チュニス宣言に関する雑感

はじめに

 

前回触れていたチュニス宣言の件です。

www.mofa.go.jp

 

2022/08/27~/28、チュニジアで行われた第8回アフリカ開発会議(TICAD8)の閉会式において成果文書「チュニス宣言」が採択、その内容が8/29外務省HPに掲載されました。

前回2019年のTICAD7における「横浜宣言」から3年が経過し、報道によれば人材育成やスタートアップ支援・健全金融支援といった従来の論点の他、昨今の国際状況を反映して保健・医療サービスや環境投資への更なる支援強化、ウクライナ侵攻から派生する経済問題また核拡散廃止条約(NPT)について新たにフォローしているとのことです。

www.nhk.or.jp

 

……でもそれだけか?ということで、遅ればせながらあまり言及されていないチュニス宣言の特徴を前回のTICAD7横浜宣言と比較しながら、改めてざっと確認しようと思います。

 

詳細の確認は前回同様行動計画との照合の上で行う予定ですが、もう少しお待ちください。横浜宣言の改訂版も含めて和訳版公開してくれるといいなあ……。

 

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1.「アフリカの角」への言及

 

>岸田総理大臣はTICADアフリカ開発会議の会合にビデオメッセージを寄せ、戦略的に重要とされる「アフリカの角」と呼ばれる地域について民主主義の定着に向けた取り組みを後押しするため担当の特使を任命する考えを示しました

いきなり「チュニス宣言に書いてないこと」の話で申し訳ありません。

上記NHK報道で強調され、また外務省によるTICAD8の結果概要における総理発言の7つのポイントにも記されたはずのアフリカの角(インド洋と紅海に面したアフリカ東部の半島エリア)に関する言及が、チュニス宣言には存在しないのです。

 

ついでに言えばチュニス宣言だけでなく、TICAD8終了後の共同記者会見でも

特に、日本としてアフリカの更なる発展を実現するため、以下に取り組みます。
>第一に、人々の生活の質を改善するための40億ドルの「アフリカ・グリーン成長イニシアティブ」の立上げ、
>第二に、活力ある若者の起業を支えるため、日本経済界による100億円超の「スタートアップ向け投資ファンド」、
>第三に、アフリカの未来を支える30万人の「人材育成」、
>第四に、包括的な民間セクター開発のための、アフリカ開発銀行との最大50億ドルの支援、
>第五に、感染症対策等支援のためグローバルファンドへの最大10.8億ドルの新規拠出、
>第六に、食料・エネルギー価格高騰の中、人々の生活を守る強靭で持続可能な社会を構築するため、1.3億ドルの食料支援及びアフリカ開発銀行の「緊急食糧生産ファシリティ」への3億ドルの協調融資。

アフリカの角における特使任命の話は省かれています。

 

我々は、2019年のTICAD7で発表されたアフリカの平和と安定に向けた新たなアプローチ(NAPSA)に留意する(2-3-1章)

恐らくはチュニス宣言におけるNAPSA(New Approach for Peace and Stability in Africa)への言及を以てこの地域に限定されない民主主義的な制度構築アプローチを論じたものだ、とは思われます。

 

しかしTICAD7横浜宣言では

我々は、民主主義の実践の深化を認識し、アフリカの角において最近見られる進展等、平和及び安全保障上の課題に対するアフリカ主導の取組を称賛する

サヘル、アフリカの角及び南部アフリカにおいて繰り返され、また、南西インド洋諸国、南部アフリカ及び東部アフリカを定期的に襲う干ばつ及び砂漠化は、気候変動の壊滅的な影響を示すものである

と二度にわたりアフリカの角の名は記されていましたし、特に今年は過去40年で最悪の干ばつ被害が発生しているにもかかわらずわざわざ同地域の名称を省いたのは、後述するFOIPの件含めてチュニス宣言の特徴と考えて良いでしょう。

 

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2.現状分析の省略と重要課題の複数回提示

 

チュニス宣言に「書かれているもの」に話を戻しましょう。

概要

宣言本文

構成について、TICAD7横浜宣言では「序論」「アフリカの現状」「TICADのテーマ」「3つの柱」「進捗及び優先事項の継続性」「行動計画及び今後」の6章建てでしたが、TICAD8チュニス宣言では「序論」「3つの柱」「今後に向けて」の3章建てに変更されています。

ただしこの構成は単純に簡略化された訳ではなく、少々複雑な変更が為されています。

 

特にチュニス宣言の第2章「3つの柱」では、例えば横浜宣言では

といった形で、一つの課題に対して原則一つの柱で支援アングルを提示しています。

 

しかしチュニス宣言では「人材育成」が2-1-1章及び2-2-3章、「環境政策支援」が2-1-4章及び2-2-4章、「ブルーエコノミー」が「海洋経済」「海洋環境」「海洋国際秩序」が分離して2-1-6章及び2-2-5章、2-3-2章でそれぞれ提示されている他、後述するFOIP(自由で開かれたインド太平洋)などで重複・強調が行われています。

横浜宣言内で「アフリカの現状」や「テーマ」で提示されていた文脈まで位置替えを行い、およそ重要だと思われる問題を強調するため複数の柱で提示するスタイルに変更しています。

 

確かに2016年のTICAD6ナイロビ宣言では、3つの柱とは別に「分野横断的課題(3-4章)」という形で提唱された課題、

  • 若者、女性や障害者のエンパワーメント
  • 科学技術・イノベーションの推進
  • 人材育成
  • 官民連携の促進
  • 民間セクターと市民社会の関与
  • 政府機関やグッドガバナンスの強化

といったものがあります。しかしこれら横断的課題が「アフリカの現状」章から導き出されたものであるのに対し、チュニス宣言で強調のために追加されたのは環境・エネルギー・国際秩序上の課題であり、国際的論調に合致するものでこそあれアフリカの現状を見据えた結果導き出されたものとは言い難いでしょう。

 

TICAD8チュニス宣言では「アフリカの現状」章自体を解体してしまった事も相まって、重要部分の認識が単なる日本側からの押し付けと思われかねないかと……。

 

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3.アジェンダ2063との距離感

 

この重要課題の押し付け的イメージを更に強めるのがアフリカ連合の政治・経済・社会に関する長期的ビジョン、アジェンダ2063との距離感の変化です。

 

TICAD宣言とアジェンダ2063との距離感について、TICAD7ではAfCFTAに見られるアフリカおよびアフリカ連合のオーナーシップを重視してアジェンダ2063寄りの内容にシフトした形跡がある旨を記しました。

tenttytt.hatenablog.com

 

横浜宣言ではTICAD会合の意義と原則、また他国主催による対アフリカ国際会議との違いを強調する文脈から始まっています。

TICADの実施は、持続可能な開発及び人間の安全保障の理念を念頭に置きつつ、アフリカ開発の動向及び優先事項を指針とするべき(注:should)である。したがってTICADは、アフリカ連合(AU)アジェンダ2063及びその最初の10年間の実施計画に明記されているアフリカのビジョン、並びに、持続可能な開発のための2030アジェンダ(SDGs)への国際的なコミットメントと軌を一にするべき(1-2章)

 

アフリカ開発のための多国間フォーラムとしてのTICADの比類なき役割を認識する。この点に関し、日本政府、国際連合、国連開発計画(UNDP)、世界銀行及びアフリカ連合委員会(AUC)からなるTICAD共催者は、TICADの多国間性を反映するものである。我々は、特に、アフリカを地域、大陸及び地球規模の知識、ネットワーク及び知見とつなぐこと、合意形成を促すこと、地域、大陸及び国際的に共有された課題の実施を支援することについて、TICAD共催者が比較優位を有し、それぞれ貢献していることを認識する。(中略)同時に、我々は、TICADに日本とアフリカとの間の特別な関係が集約されていることを認識する(1-3章)

特にアジェンダ2063や国連のコミットメントに対する合一性を保ち、宣言上はその枠内で各国際機関と連動しながら課題解決の支援を行う旨を強調しています。

※そのため横浜宣言では、採択し得なかった日本側が重視したい支援を行動計画の方で盛り込む形を採っていました。

tenttytt.hatenablog.com

 

しかしチュニス宣言では

TICADの役割は、アフリカがアジェンダ2063で示された開発の願望を実現するため、及び更なる民間投資を呼び込む強靭な経済を構築するために努力し、国際社会がアフリカの成長の可能性とニーズにますます焦点をあてていくにつれて、進化していく(1-2章)

と表現を変えました。合一性については第3-1章、締めの言葉の部分で

我々は、TICAD行動計画の下でのイニシアティブ及び行動が、AUアジェンダ2063、SDGs等のアフリカの枠組み及び国際的な枠組みと整合的である(注:will)ことを再確認する

とshouldからwillに表現を変更し、軽く触れるに留まっています。

アジェンダ2063との合一性を遵守し強調するのではなく、要は最終的・潜在的アフリカ連合や各国の願望に沿っていれば良い。穿って言えばそういう表現に変更されています。

少なくとも「アフリカの現状分析」論を3つの柱に分解し、あたかも既知の事項のごとく論じた上でその願望を見透かし得たと論じているのです。

 

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……大した違いではない、と思う方もいるかもしれませんが

nordot.app

アフリカ連合AU)委員会のモニーク・ヌサンザバガンワ副委員長はこのほど、エチオピアアディスアベバAU本部で新華社のインタビューに応じ、中国アフリカ協力フォーラム(FOCAC)第8回閣僚級会議の「9項目事業」などの成果がAUの「アジェンダ2063」と高度に一致しており、アフリカ・中国協力の全方位的発展を促進するとの見解を示した

という中国側の記事があります。単に願望に沿うだけと一致するのとでは、成果文書の意味合いとアフリカ側の受け取り方に違いが出るものなのです。特にこの発言、英語版で

The nine programs "are pretty aligned to the priorities of Africa as expressed in the Agenda 2063,"

であったものを新華社側がわざわざ「高度に一致」と翻訳し直す程度には。

 

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4.アフリカのFOIPの方向転換

 

更に他の強調部分としてはやはり「人への投資」人材育成やスタートアップ、健全金融の部分なのでしょうが、ここはあえて無視します。上記NHK報道でも同じ対応ですが、自分にも従来のTICAD宣言の焼き直しにしか思われないからです。

 

むしろ目に付くのがFOIP(自由で開かれたインド太平洋)の扱いです。

2016年TICAD6で初めて公表された『自由で開かれたインド太平洋戦略』は、巷間で囁かれる対中包囲網としてではなく、少なくともアフリカでは自立を促すための海洋支援として提唱されたことを今まで数回記しました。

tenttytt.hatenablog.com

 

TICAD7横浜宣言は更に海洋安全保障まで経済の柱に含める形で

経済的な成長を加速させ、人を持続可能な開発の中心に置く上で、海洋、湖、河川、その他の水資源の経済的な潜在力を最大限活用することにおける持続可能なブルーエコノミーの重要性を認識する。さらに、我々は、海賊行為、違法・無報告・無規制(IUU)漁業及び他の海上犯罪との闘い並びに国際法の諸原則に基づくルールを基礎とした海洋秩序の維持を含む海洋安全保障の分野において、二国間、地域的及び国際的なステークホルダーの協力を促進する必要性を強調する。我々は、ナイロビで開催されたTICADⅥにおいて安倍晋三総理大臣が発表した自由で開かれたインド太平洋のイニシアティブを好意的に留意する(第4-1‐3章)

と記しており、前回TICAD6からの立場は崩していません。

 

しかしTICAD8チュニス宣言では海洋支援は「海洋経済」「海洋環境」「海洋安全保障」の点から全ての柱に組み込まれたうえ、FOIPそのものは第1章の序言でこう示されました。

我々は、国際秩序の根幹を成すのは国連憲章を含む国際法並びに全ての国の主権及び領土の一体性の尊重であるという原則に基づき、世界の平和と安定を維持するために共に取り組むとのコミットメントを新たに継続する。また、我々は、全ての国が国際法に従って紛争の平和的解決を図らなければならないことを強調する。我々は、ケニアのナイロビで開催されたTICADVIにおいて日本が発表した自由で開かれたインド太平洋のイニシアティブに好意的に留意する(第1-5章)

 

……チュニス宣言のFOIPはどうやら、かつて組み込まれた対アフリカFOIP戦略、

自由で開かれたインド太平洋を介してアジアとアフリカの連結性を向上させ、地域全体の安定と繁栄を促進するとともに、アフリカ諸国に対し、開発面に加えて政治・ガバナンス面でも、押し付けや介入ではなく、オーナーシップを尊重した国造り支援を行うという日本の対アフリカ政策の方針

まずアフリカ自身のために提唱されたアフリカのFOIPから道を外し、当事者意識を呼びかけるより先に国際秩序への義務を強調してしまう抽象的FOIPへと切り替えてしまったようです。

それも地域的にFOIPの一番の当事者である紅海・インド洋に面した大陸東岸の端「アフリカの角」への言及を外したチュニス宣言で。

 

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……以上が、チュニス宣言だけを見た限りの個人的な感想です。

 

岸田首相による開会式スピーチについては触れておりませんが、ざっと目を通した限りは「アフリカの現状を注視せず、日本から見た世界観が中心」というチュニス宣言での感想そのままでした。

www.kantei.go.jp

 

もっとも前回の横浜宣言も実行計画である横浜行動計画段階に至り方針をごっそり変えた件もあり、チュニス行動計画にまだ目を通していない現時点でTICAD8全体の俯瞰が可能な文章は未だ作成できないと感じています。続きはまた……。

 

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おわりに.コロナ禍と「人間の安全保障『の危機』」

 

最後にチュニス宣言で「も」示された、「人間の安全保障『の危機』」の話を。

 

。国際社会が新型コロナウイルス感染症の世界的拡大による人間の安全保障の危機を目の当たりにする中、人間の安全保障の概念はこれまで以上に支持される必要がある。新型コロナウイルス感染症の世界的拡大は、TICADプロセスが重要視する「人」の価値を再認識させた

チュニス宣言第1-3章には人間の安全保障「の危機」について、コロナ拡大に触れる形でこう記しています。その後の文章(第2-2-1章)でもポストコロナに触れる形の記述であり、人間の安全保障の危機を明らかに健康危機として捉えています。

 

人間の安全保障は例えば横浜宣言では

日本及びアフリカは、人間開発及び人間の安全保障の達成に向けた、質の高いインフラ、民間セクターによるインパクト投資、マクロ経済の安定、特に産業化・経済改革・社会開発における技術革新、さらに気候変動への適応及び緩和、災害リスクの軽減と管理、人材育成、制度構築、平和と安全保障等の課題に関する協力の重要性を認識する(1-3章)

平和を構築し、貧困を削減し、人間の安全保障を促進し、生活を向上させ、包摂性を促進し、衝撃に耐え、急速な都市化を管理し、社会の一体性を促進させるため、多方面において行動が求められていることを認識する(4-2-1章)

紛争の根本的な原因に対処するために、開発に対する人間中心のアプローチを通じたものを含め、また地方、国家及び大陸レベルで制度を強化することにより人間の安全保障及び平和と安定を促進することの重要性を強調する(4-3-1章)

と経済・社会・平和と安定3つの柱すべてに跨る、TICADを含む日本外交上の性格を形作る重要なものでしたが、チュニス宣言ではこの思想が後退しているのです。

 

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そもそも「人間の安全保障『の危機』」という言葉が最初に使われ、人間の安全保障の定義そのものが変更された切っ掛けは2020/09/26、コロナ禍の最中に国連総会で行われた菅前首相による演説でした。

www.nikkei.com

この感染症の拡大は、世界の人々の命・生活・尊厳、すなわち人間の安全保障に対する危機であります。これを乗り越えるには、「誰一人取り残さない」との考え方を指導理念として臨むことが、極めて重要です。一人一人に着目する「人間の安全保障」の概念は、ここ国連総会の場で長年議論されてきた考え方であります

この国会一般演説を契機にコロナ禍のもと「人間の安全保障」の考えを更に深化させ、2022年4月には従来の保護とエンパワーメント(能力強化)の二つに加えて相互の連帯を新たな安全保障アプローチの柱にした『人新世の人間の安全保障』の発表に至る……のですが、それは国外での話。

日本では逆にこの菅前首相の演説を皮切りに林外相しかり、外務省しかり見事にユニバーサル・ヘルス・カバレッジを中心とする保健医療の安全保障に重心を移してしまっています。

 

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かつて「人間の安全保障」は日本政府の重要な外交方針であり、食料や医療の支援だけでなく人材育成・社会システムの構築支援・紛争に対する根本的アプローチにまで目を向けるものでした。SDGsでも「誰も取り残さない」という文言を加えるに至ったのは、人間の安全保障に基づく日本政府からのアプローチによるものです。

人新世の時代における人間の安全保障への新たな脅威』で新たにクローズアップされた「連帯」は、既に今まで日本外交がTICAD等で推進した要素です。

また連帯同様に重視される「人間の行為主体性(選択や意志決定参加の際、自分への福利増進を度外視し、一定の価値観を持ってコミットメントをし、しかるべき行動を取る能力)」についても、オーナーシップという形での知見があります。

 

成功と失策を通じて蓄積した日本の知見が役立つ場であるはずなのですが、菅前首相の発言以降「人間の安全保障」に関する日本政府の立場はあまりに表面的なものへと変容してしまいました。TICAD8チュニス宣言でもその立ち位置は変わりません。

 

いえ、チュニス宣言における構成のシャッフルやアジェンダ2063との距離感、FOIPの方向転換といった特徴自体、「人間の行為主体性」に関わる一節

人間の行為主体性を強調することによって、私たちは人間の福祉の側面の成果だ
けで政策の評価や進捗状況を検討してはならないことを想起することになるはずです。また、こうした行為主体性に着眼することで、人々をエンパワーすることを無視して保護だけの政策をとってしまったり、連帯するのだと言いながら一部の人々の保護を置き去りにしてしまったりといった落とし穴を避けるためにも役立ちます(同P6)

この言葉に近い失陥があるのではないか、と考えてしまいます。

 

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