中国のWet Market衛生政策(3)

『中国のWet Market衛生政策(2)』の続きとなります。


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3: 貿易ルールによる国際的衛生向上策の破綻

3-1 防疫措置の同等性と相互の水準向上


もし支援型の公衆衛生意識が根付かないまま、或いはおかしな道を辿ったまま発展途上国を卒業、自主性に頼らざるを得なくなってしまったのであれば……今度は商業取引上対等な国家として、資本主義型つまり国際貿易ルールを援用して国内食品産業の軌道修正を促すやり方もあります。

WTOによる『衛生植物検疫措置の適用に関する協定』(外務省HP)がそれです。


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『衛生植物検疫措置の適用に関する協定(以下SPS協定)』とは、ざっくり言えばWTO加盟国間の検疫措置について

  • 必要限度に応じ、かつ科学的根拠を伴うこと(第二条2)
  • 同等条件の検疫措置を行う加盟国の恣意的・不当な差別を行う形で貿易障壁に利用しないこと(同3)


を定めたものです。それ自体は加盟国の衛生基準向上に役立つように見えないのですが上記二条3の内外無差別、及び第四条「措置の同等」が鍵となっており


〉加盟国は、自国の衛生植物検疫措置により同一又は同様の条件の下にある加盟国の間(自国の領域と他の加盟国の領域との間を含む。)において恣意的又は不当な差別をしないことを確保する。衛生植物検疫措置は、国際貿易に対する偽装した制限となるような態様で適用してはならない(第二条3: 外務省HPより)


〉加盟国は、他の加盟国の衛生植物検疫措置が、当該加盟国又は同種の産品の貿易を行っている第三国(加盟国に限る。)の衛生植物検疫措置と異なる場合であっても、輸出を行う当該他の加盟国が輸入を行う当該加盟国に対し、輸出を行う当該他の加盟国の衛生植物検疫措置が輸入を行う当該加盟国の衛生植物検疫上の適切な保護の水準を達成することを客観的に証明するときは、当該他の加盟国の衛生植物検疫措置を同等なものとして認める。このため、要請に応じ、検査、試験その他の関連する手続のため、適当な機会が輸入を行う当該加盟国に与えられる。(第四条1)


……ひっくり返すと「輸入品の検疫措置に高い水準を求めるのであれば、同時に自国内製品も同様の検疫措置が行わなければならない」「輸出先の検疫措置と同等の措置を行っている事を証明するために、輸入国の求めに応じ客観的証明を繰り返さなければならない」という事になり、結果として輸入・輸出国とも自国の検疫、というより国内食品産業の公衆衛生を、共に同レベルの高い水準に導きます。

そしてこれは国内のコスト増と貿易チャネル増加の最中にあり、同カテゴリーの食品を輸入しまた同時に輸出する立場にある中進国にこそ有効に適用される原理です。

これによりSPS協定は、支援という形では手を出し難かった中進国の国内市場……Wet Marketの健全な存続を前提とした衛生水準向上を、国際貿易ルールを通じて自主的に促しえる重要な手段となりえた訳です。


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3-2: 農業関係歳出法727条へのWTO訴訟


しかし、この国際貿易ルールによる公衆衛生向上システムにも、WTOの意識に根本的な問題があり、中国はそこに楔を打ち込むことでシステムから離脱してしまいました。

それがアメリカによる2009年農業関係歳出法 727 条(以下727条)に関するWTO訴訟(DS-392)です。


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米国-中国からの家禽類の輸入に関する措置(パネル)
経産省HP : WTOパネル・上級委員会報告書に関する調査研究報告書 2011年度版より


この727条自体は、説明文書によると


〉中国産の汚染された食品に対するきわめて深刻な懸念が存在するため、農務省食品安全・検査局(Food Safety and Inspection Service, 以下「FSIS」)が中国産家禽類製品の米国への輸入を認める規則を適用するために支出することを禁止するものと説明。農務省に対して、(i)中国の食品安全法改正の含意について1年以内に議会に報告すること、(ii)中国産の家禽類製品の安全性を保証するための行動計画(中国の検査制度の体系的な検査、中国が対米輸出を認定する適格加工・屠殺施設の検査、試験施設その他の管理工程の検査、輸入港での高水準の検査、中国から家禽類製品を輸入する他の国との情報共有プログラムの創設などを含む)を議会に提出することを指示(上記経産省HP、P1より。以降ページ数のみで記載)


……中国産家禽類の輸入について衛生上懸念される事項の報告義務づけと、それらを行う前にFSISが独断で中国と同等性認定交渉を進行させる事がないよう、財政面で圧力を与えるための法案でした。

この背景には当時直近でもメラミン入りミルクの販売など、中国食品に関する安全性が懸念される事態が相次いで発生していたにも拘わらず、同等性の予備認定をFSISが非公開で行うなど、中国産家禽類輸入に向けた防疫措置認定交渉を進行させていた(P2~3)事があります。

この727条に対し中国は、このような行政機関への歳出締付け行為はエビデンスの伴わない検閲措置に相当し、SPS協定に違反するものであるとWTOに訴えたのです。


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この727条の争点として、先ほど記したSPS協定第四条“検疫措置の同等性”と関連する部分のみを取り出すと

  • SPS協定第四条の“検疫措置の同等性”評価のみに関わる手続きであり、“輸入品の危険性評価”に伴う科学的根拠は必要としない
  • SPS協定第二・五条の“輸入品の危険性評価”同様、“検疫措置の同等性”評価に関わるのみの手続きにも科学的根拠が必要であるため、科学的根拠に乏しい“検疫措置の同等性”への干渉行為は『当然に』SPS協定第二・五条違反となる


このどちらであるか、という判断が最大の焦点となり、


〉SPS 協定 4 条の文言からも、SPS 委員会が採択した 4 条の実施に関する決定からも、4条が適用される場合に SPS 協定の他の規定の適用が排除されるとは解されない(P6: (3) SPS 協定の適用条文 パネルの判断)


……WTOパネルは第四条における“検疫措置の同等性評価”について、他条文の“危険性評価”と同様の適用がされなければならないものである、と認めてしまったのです。


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結果的に、中国側の主張がほぼ全面的に通った形でした。

「第四条にも科学的根拠を求める」という判断をWTOが下してしまった以上、このWTOパネルの判断は、SPS協定の法的側面においては正しいものだったでしょう。この結果は仕方ありません。

実際、アメリカ側は727条がSPS協定第四条に関係する手続き法案だと認めた(P6)上、そのエビデンスとして中国食品全般に対する懸念を記した新聞記事程度しか提示できなかった(P7)のですから。


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3-3: 自浄を放棄した中国公衆衛生とその後


ところで、今回の訴訟対象となった727条には他のSPS関連訴訟と異なる特徴がいくつかあります。


一つ目は、727条が危険視していたものが特定微生物や薬品使用あるいは環境保全解釈の濫用といった具体的なものではなく、中国の不実な公衆衛生に基づく防疫制度の不透明性だったこと。


二つ目は、この不実性を払拭するための手順を経る前に、「FSISが勝手に」実態の不明な中国の防疫制度を鵜呑みにして同一性認定を進めるのを、アメリカ議会が阻止しようとしたのが727条だったこと。


三つ目は、727条がSPS協定第四条つまり同等性認定のための手続き事項と見なされるならば、FSISとの同一性認定の最中に発生した新たな疑義、

〉中国産の家禽類製品と中国産の他の食品について同じ危険性(P8)

の問題を科学的根拠をもって立証することは、第四条1の後半文面からもまたSPS協定が例外規定でない事からも本来中国側の義務なのに、WTOパネルではこの点には全く触れなかったこと。


四つ目は、727条発効以前のFSISの活動に対して

〉2006年にFSISが中国の検査制度が米国の制度と同等であるとの予備的認定を行ったにもかかわらず727条がこれを覆した(P8)

と、FSISの予備的認定をあたかも決定事項と判断し、それを727条がひっくり返したと判断したこと。


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この四つですが、特に三つ目は前述した「SPS協定による自主的な国内市場衛生水準向上」のメカニズムから中国が……いや、不実な国家が離脱することに繋がりました。輸出国側が防疫措置の同等性を立証する場合、その立証の透明性は確保されていると推定されてしまったからです。

アメリカ議会が疑問を呈し、立証の透明性を検討するための資料提出をFSISや中国に要請することすら、その“疑問を呈すること”自体に科学的根拠が無いので協定違反、というパネル判断が下されるのですから。

平たく言えば、中国は虚偽・実地調査力に欠ける同等性立証資料を元に輸出国・輸入国の防疫措置を束縛する事が出来る一方、内外無差別原則や措置の同等性により不可欠であった筈の自国内の公衆衛生改善には、上辺だけの防疫措置を盾に手つかずのままでいられる訳です。

……はい。又も効率性追求の結果、Wet Marketに代表される国内流通分野の公衆衛生は置き去りにされたのです。


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結局、国際貿易ルールを以てしても中国国内の公衆衛生意識まで更生出来ない事を悟った輸入国側は、とにかく自国に持ち込まれる製品のみの衛生確保に奔走する事になります。


アメリカ議会は新たな農業関係法案743条をもとにFSISに対して6カ条の調査を要請、その結果


〉中国の家禽類の屠殺検査制度と加工検査制度について、中国から提供された資料の審査に続いて 2010 年 12 月に現地検査(on-site audit)を実施し、検査結果を 2011 年10 月 6 日に公表し、屠殺検査制度、加工検査制度のいずれについても米国の検査制度との同等性は認められないと結論した。この結果、中国産の家禽類・家禽類製品は依然として米国への輸入が認められないことになった(P17)


……FSISとしては認定を強行し、議会の要請に従い認定後も中国の検査制度調査を継続してボロを出すよりも、同等性の予備的認定を自ら覆しご破算にする方を選びました。


その後2016年の日本でも平成 28 年度輸入食品監視指導計画において


〉現行の輸入食品等事前確認制度にHACCPによる衛生管理の要件を加え、輸出国登録施設制度とし、これを輸出国政府、生産者等に対し周知、普及することにより、輸出国における安全対策を推進


と、日本に輸入する品に限定した製造・流通過程の衛生確保に注力、中国国内流通ベースの防疫制度の枠外で対処する事となるのです。

※なおこの輸出国登録施設制度を期に、未だ国内で6割ほどしか導入状態にない(農業協同組合新聞より)HACCPを、2018年改正食品衛生法により義務化する流れとなりました。
内外無差別や防疫措置の同等性を援用すると、本来はこのような形になる訳です。


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……遂に中国のWet Marketの衛生は、国際保健の支援からも国際貿易ルールの自浄効果からも救済されることはありませんでした。

政府の枯死政策の中で逆に危険な悪化を見せるに至ったのは、第一章に述べた通りです。

ただし、国際保健システムにも国際貿易ルールにも、こと中進国政府の公衆衛生向上に目を向けさせるには欠陥があったという事でもあります。 

そして中国がその欠陥に身を投げた動機は、まさに中国が発展途上国から卒業した際に獲得した「効率性」というアイデンティティだったのです。


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付記:

第3章の締めとして、727条に関するWTOパネルが設置されたのと同じ2009年7月に、FSISと同じくアメリカ農務省内にある経済調査局(ERS)が作成した、『中国からの輸入品と食品安全問題』という資料を紹介いたします。


この“Potential Safety Hazards”章、第7パラグラフの途中から第9パラグラフの途中までの記述を
こちらで和訳いたしました。
tenttytt.hatenablog.com


防疫措置の同等性について、既にこれだけの問題点を指摘される状況にありながら、727条WTOパネルはそれらを退けた訳です。


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727条の後継となる743条について、その内容がより同等性認定を退ける流れのものであったにも関わらず、


〉米国への中国産家禽類・家禽類製品の輸出許可申請にいかなる特恵的な配慮もし
ないこと
(P17)


〉本条は米国が国際貿易協定で負っている義務に適合する方法で適用される(P16)


といった文章を添えるだけで満足してしまう事も加えて、WTOという組織の考え方の危うさ……買収などとは別のイデオロギー的な危うさを感じてしまいます。まあ国際機構のイデオロギーの怪しさにつあては、第二章で記したとおりWHOもどっこいなのでしょうが。


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さて、中国の公衆衛生政策における効率性と先端技術の話はある程度触れましたが、もう一つの「伝統性」についてはほとんど触れられませんでした。次回はその部分にも触れられれば、と思います。


以降『中国のWet Market衛生政策(4)』に続きます。

……この題名、少し苦しくなって来ました。