安倍政権最後の外交(5・終):二つの司法外交が対峙したもの

安倍政権最後の外交(4):日本のサイバー司法外交……既存の国際法・規範の注釈・国際的義務からの続きとなります。

 

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第4章:2つの司法外交の共通点と隠れた意志

はじめに:サイバー外交と京都宣言の共通点

受け入れに関する揺らぎを許容するというサイバー司法上の日本の立場は、第1章で採り上げた国際的刑事司法会合、京都コングレスの京都宣言でも同様です。

 

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>これまでの政治宣言は、コングレスに集結した国家や専門家が一方的に主張し、自らの見解に国連機関や各国への実施を要請するだけのものだったのに対し、京都宣言では国家及び国内法と国連機関及び国際規則の双方を尊重、両者の隔たりの存在自体を肯定した上で「どの地点まですり合わせを図るべきか」を提示していることだと言えるでしょう。

 >被拘禁者処遇基準規則に関する各種ルールについてそれぞれ収束点を変え、慎重にas appropriateを使うなど細かな調整を行った結果、既存の政治宣言及び国際規則と各国国内法の間合いの再確認を試みたのが京都宣言の特徴と考えられるわけです

京都宣言の特徴について、第1-3章で私はこう記しました。

※「すり合わせ」という言葉を当時採用しましたが、これでは政治宣言や国際規則そのものを削除妥協して調整させる響きがあるなあ……と今更後悔しています

 

京都宣言も各国の国内法や国家の方針そのものと国連規則や国連機関の方向性に隔たりがあることを認め、そのうえで各国国内法へ規則をどこまで・どの様な支援を行えばより深く導入できるかの注釈を「努める」「奨励する」「措置を講じる」など多様な語尾で示したのが特徴と考えられます。

 

またドーハ宣言以前には採用されなかった”International Obligations”という言葉を京都宣言で初めて盛り込み、国際法や法的拘束力を持たない国際規則を遵守することが(各国とのTrustを構築するために必要な)義務であることを示したのも、京都宣言・サイバー司法外交(前章3-3-③参照)両者に共通する特徴です。

 

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これら司法外交の共通点について、まず気づくのが安倍元首相以来続けられた日本の外交方針、普遍的(岸田・茂木外相時代)あるいは基本的(河野外相時代)価値観の礎となる「法の支配」との類似でしょう。

「法の支配(Rules of Law)」とは使用者により定義の差がありますが、日本外交の文脈においては国際法や国際司法裁判の判例、自主的な規範を遵守する国家間により形成される普遍的・基本的な価値観と信頼醸成の拠り所であり、まさに両司法外交の特徴そのものと言えます。

 

そしてもう一つ、特に両司法外交の根底にある「法の支配」が浮き上がらせたメッセージがあると思われます。

「Inclusion(包摂)及び包摂を称揚する集団に対する、法の支配からの警鐘」です。

 

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なお一連の目次と概要を作成いたしました。もし宜しければこちらをご覧ください。

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4-1:Inclutionと京都宣言

特定集団における多様な思い・特性の尊重という意味を持つInclusion(包摂・非排他)は、国連SDGsの後押しもあって近年の国際世論ではDiversity(多様性・多様な参加)と共に重要な概念となっています。

自由で開かれたインド太平洋が2018年終盤に『戦略』の表示を削除した要因の一つに、同年インドが”Free,Open,and Inclusive Indo-Pacific(自由で開かれ、包摂的なインド太平洋)”のビジョンを明らかにした事で、日本側も非排他性を改めてアピールする必要があったからだと言われています。

※「戦略」を排除したFOIPの文面には新たに ”through ensuring the rule-based international order, in a comprehensive, inclusive and transparent manner”が加えられましたが、邦訳では「包括的かつ透明性のある方法で,ルールに基づく国際秩序の確保を通じて」つまりinclusiveは和訳されない形となっています。

法の支配に基づく国際秩序そのものに、包摂性の言及は避けているのです。

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このInclusion(包摂・非排他)には、普遍的価値観への挑戦者に対してすら意見の尊重を要求しているという問題があります。それも歴史的・法的背景を隠れ蓑に意図的に挑戦を繰り返す、理不尽な挑戦者に対しても同様の尊重を要求しているのです。

 

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さて、第一章において京都宣言が従来のInclusive(包摂的)からMultimentional(多面的)へと表現を変更した事について記しました。

multidimentional/multidisciplinaryに対応する文節は、主にドーハ宣言でのinclusive(包摂・包括的)という言葉から置き換えられたようです(第3・4章)。

(中略)極論すれば、多様な国家の思いを取り入れることを大前提としたドーハ宣言とは異なり、それら思惑をただ意見・視点の一つとして受け入れるに留める、という意識の表れだったのではないか

京都宣言は国家の最高責任性を認めながら、国連決議74/247のような国家の背景に基づく思惑を包摂する事に一線を引きました。

また専門家を含む各種ステークスホルダーの参加を促す一方、国家こそが自らの国内法に対する最高責任者と認じ、専門的視点の包摂に伴う国連規則の無理な受け入れを強制せず、代わりにひとつひとつの語尾を用いて具体的な目標水準を示しています。

 

これは両者の意見・視点をInclusionのもと生のまま受け入れ、コングレスの新たな政治宣言を構成することへの日本側の危惧の表れではないか、そう考えられます。

特定国家が自らの背景に都合よい規則を提唱する形であれ、専門家による実情から遊離した国連規則の提案に政府が嫌気を催す形であれ、Inclusionが広範な不理解を生み国際的義務の放棄を各国に促すことへの危惧です。

京都宣言はコングレスそれ自体が包摂の場となるのではなく、多面的な検討の末採択された国連規則をその注釈一つ一つから各国が自主的に遵守していくための橋頭保たるべきことを示していたのではないでしょうか。

 

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4-2:サイバー司法におけるInclutionと国際的義務概念の対立

そしてサイバー司法外交の場でOEWG主導派が西側主導ではない枠組みを主張し、既存の国際的義務の概念そのものを覆えそうとした根拠にも、加盟国の多様な思い・特性の尊重を唱えるInclusion(包摂・非排他性)がありました。

特にOEWGレポートが提示したDevelopment of Normsという考え方(第3-3-②章参照)には、メンバーのために既存国際法の適用排除とNormsの追加修正を求めるという面でInclusionの思想が深く関わっています。

その意味で、サイバー司法外交は

  • 「新たな」追加変更によりNormsにInclusion(包摂)を求める側と
  • 「既存の」国際法Normsを通じ法の支配に基づく価値観の共有を求める側

の対立の場という側面がありました。ここで問題なのは後者の武器、相手国の信頼喪失の効果を「国連SDGsの中心にある」Inclusionが削いでいた事です。

 

例えば国際法や国連憲章を「法の支配に基づく国際秩序」に置き換えようとしていると西側諸国を非難する-TASSロシアが、OEWGにおいては国際法・国際人権法、更には国連憲章に基づく主権干渉行為認定の適用を回避するという利己的な立場を正当化する際にも、このInclusionへの論点ずらしは重要なポイントになっています。

もちろんこのような国家の態度は、本来国家としての信頼を失うものです。しかし国連がSDGsのもとInclusion(包摂・非排他)を要求する以上、これら国家への信頼は担保されてしまうのです。

 

そしてこのような対応は国連だけでなく、各国における専門家たちの根本思想にも見受けられます。2013年の米国国家安全保障局(NSA)のネット監視活動暴露とそれに伴う西側諸国主導への不信感が背景にあったとはいえ、西側主導のGGEレポートを数年間空転させOEWGでは各国の意見を取り入れたゼロ草稿段階からロシアが強権的にその内容を変化させしめた背景には、サイバー空間における国際的枠組みを早急かつ形式上Inclusiveに(筋の通らない反対意見を包摂する形で)要求し、国際法適用……ひいては法の支配に基づく価値観の共有に対する西側諸国の固執を、未来への障害のごとく揶揄した各国サイバー専門家の姿勢があったのですから。

 

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おわりに:「人間の安全保障」と安倍・菅政権の司法外交

思えば安倍元首相(執筆時点では前首相ですが)の二国間・多国間外交を通じて普遍的価値観を共有していくというプロセスは、InclusionやDiversityによる非共有者の受け入れを主張する国連とは別の道を辿るものだったのかもしれません。

そもそもSDGsがInclusionを標榜した際、 その成立に尽力した日本が求めたのは「人間中心」「誰も取り残さない」という『人間の安全保障』に則った(各国内で暮らす人間の)包摂であったと思われます

少なくとも内政不干渉原則を盾に自他国民への危害を継続する国家の意見を擁護したり、一部の専門家が夢見る環境を持続するために発展途上国民の生活水準向上を掣肘する開発目標を提唱するための包摂ではなかったでしょう。

 

それゆえにか安倍外交SDGs成立以降、国連を通じてはルール形成時の発言参加へとシフトし、DFFTや大阪ブルーオーシャン、質の高いインフラといった国際的枠組みを日本自ら提唱する際は二国間・多国間外交の場で行うようにようになったのではないか、と思われます。

しかしながらいずれ国連の場で日本の立場、日本がどのような概念に対峙しているかをより具体的に表明する必要がありました。

2020年に開催される予定であった京都コングレスの政治宣言、あるいは政権期間中OEWG・GGE会合で展開されたサイバー司法外交は、安倍外交がその集大成を示す舞台であった訳です。

 

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……しかし、任期を残して解散した安倍政権を引き継いだ菅政権下において、この『安倍政権最後の外交』が形を留めていたのか、疑問が残ります。

 

京都コングレスのステートメントを読む限り、主催者であるはずの上川法相(当時)から京都宣言の特質に触れた発言は無く、SDGs賞嘆のもと空虚な「法の支配」という言葉が加えられたのみです。

※「国家及び国際的なレベルでの法の支配を促進し、全ての人々に司法への平等なアクセスを提供する」と記されたSDGsターゲット16.3ですが、司法アクセスに関するものばかりが達成指標となっていることが示すように、実際のところ「法の支配の促進」という言葉に向き合っていないのです)。

 

サイバー司法外交では、デューデリジェンスから絡めとるはずの中国のサイバー攻撃に対し、英米等と組みOEWG/GGEレポートに抵触しかねない直接非難を行う形へと戦術を変更してしまいました。

菅前首相や関係閣僚にとってはSDGs、対中防衛とそれぞれ即物的で一貫性のない政策へと方向性を変えていたのです。

 

菅政権下の外交の特徴については後日まとめる予定ですが、ある意味末期安倍政権の政策や国連に対する捻じれた思いを過度に汲み取った結果、外交の方向性は国連SDGsの要求水準を無理に満たそうとしたり、露骨な対中包囲網へとシフトしたのではないかと考えられます。

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産油国と提携したブルー水素の提唱を柱とする日本独自のエネルギー環境政策もそうですが、『安倍政権最後の外交』としての司法外交も、結局は菅政権の意図を離れた各省庁の現場によるレガシーだったのかも知れません。(了)

 

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いや、なんというか……文章作成に半年近く時間がかかってしまいました。

安倍政権下で行われるはずだった京都コングレスの話を追ううち、司法やらサイバーやら全く謎の領域に嵌まっておりました。そもそも著作権関係やHTMLすら分からない人間がですよ。

 

最後に後日、菅前首相(この文章を書いてる時点では現首相ですが)の回顧として文章を作成する予定です。