戦争を終わらせた人

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名古屋大学国際経済政策研究センターHP
大蔵省戦時経済特別調査室[綴]


〉戦争終決に対する種々ある場合、


(一)勝利に終わる場合

(二)五分五分に終わる場合

(三)敗戦に終わる場合


この内(三)は問題にあらぬ。この場合には敵方の意図によって○○範囲まで支配せられしからである。

※すみません。○○の箇所は読めなかったので……


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いつもの流れぶった切りで申し訳ありません。
この日に際して、心の奥で考えていることを少し漏らしてみようと思います。終戦関連の研究書に目を通しまくっている訳でもないので、今の所はざっくりとした「思い」なのですが。


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さて、先の大戦終結させた人として、一般的には当時の閣内や軍部を説得した総理大臣鈴木貫太郎や海軍・外務大臣、書記官長の事が知られています。


御前会議において、ポツダム宣言受託に関する決議に陛下の聖断を仰ぐ形で(無条件な)降伏受託の決定が下された……という話が知られていますが、ここに一つの疑問が湧きます。


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※「無条件降伏」と記してしまうと、あれは無条件降伏ではない云々と話をされる方がいるので、とりあえず日本からの条件提示が終戦後に無視されえるという意味で「(無条件な)降伏」という言葉を使っています。

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では陛下を説得したのは誰だったのか


極論でしょうが、閣内や軍部を説得したところで陛下の聖断が無ければ(無条件な)降伏には向かえなかったでしょう。逆に聖断という形で陛下から具体的な発言さえ有れば、反対派が例え多数で有力だったとしても、聖断のもと相手を押し切る事は十分可能だったと思われます。


であれば戦争を終結させた人物とは即ち陛下の不安や不満を押しのけ日本の(無条件な)降伏に向かう発言を促した人物ではないでしょうか。


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となると、陛下の身近にいる人物でしょうか。


これも諸説語られており、一般的には皇族の方々による働きかけや、戦中に陛下と諸閣僚を結ぶパイプ役として知られた内大臣木戸幸一といった、戦争反対派の名が挙げられていますが、この説にも疑問が湧きます。


彼らは(無条件な)降伏に関して、実のところ陛下と不安や不満を共有する人物です。陛下の不安を払拭、或いは不満を封殺するほど決定的な論題を提供する事は難しいと思われます。


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そもそも陛下が(無条件な)降伏を避け、結果的に戦争継続に協力した理由は何でしょうか。これは恐らく内外を問わず近年に至るまで行われた伝統的な敗戦処理、敗戦国元首一族の消滅を恐れたためと私は考えます。


凡そ元首自身の身に及ぶものだけではなく、政治的なものを越えた継承自体の消滅です。


つまり陛下を説得するということは、

1. (無条件な)降伏を受け入れるしかない事
2. 陛下自身や近親者の処遇が保証されない事
3. 日本国の継承者としての証しを失う事

これらへの現実的な解答を提供する必要があったのです。


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※この点について指摘する文献を、残念ながら私は見たことがありません。終戦後に陛下の処遇や天皇家存続というハードルを呆気なく越えてしまったため、戦中のこのハードルの高さと拘りに気が付く方が少ないのが理由でしょうか

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しかし閣内外の殆どの人物は陛下の処遇や国体の護持に囚われ、条件付の降伏に拘った末貴重な時間を費やしました。


東條内閣瓦解から一年半、陛下自身に最低限の条件を聞き出す事をせず(或いは阻まれ)意向の類推のみ行った結果、より良い条件を提示する交渉相手を選り好みしながら終戦工作を継続せざるを得なかったのでしょう。


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そして恐らく、冒頭の文書を内々に陛下に上奏した人物こそ、この解答を示した数少ない人物であろうと私は考えています。


上奏時点では正式な書類の形を取っていたかも怪しいこの文書をもとに、

  • 敵方が支配する状況においては、現在推進している条件付き降伏交渉など意味を持たないこと

つまり自身の処遇や国家継承が表向き失われる事まで、陛下に覚悟してもらう事を内々に伝えようとした、と思われるのです。


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※なお、この文書作成者自身の意図は上奏者と異なり、一般的に

  • 何らかの僥倖により戦争が五分に引き戻して終決する場合でも、戦前同様の帝国の維持が困難である事
  • 文章上では「五分五分」以上の場合としたが、実際には敗戦後を見越した経済力の評価、また復興に向けた計画を立案すること

であったとされています。念のため。

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そしてこの人物は、陛下自身の処遇や表向きの国家継承すら保証しない替わりに、継承の証明物のみ確保する事を提案したと思われます。


1944/11/21、この上奏が行われたと思われる4日後に、帝室博物館総長及び学芸委員の処分に関する裁可が成されました。10/29に実測中の正倉院御物を破損した事件に際するものですが、宮相松平恒雄の奏上がこの日まで延ばされたのも、破損の理由を報告するに際し、この件を事前に伝える必要があった可能性があります。


何より、この文書を上奏した人物は1945年に入ると一旦陛下の謁見が困難な立場となりますが、6月に松平宮相による推薦の形で改めて宮内に参じ、主に御物を始めとする皇室財産の管理と避難に奔走しています。


まさにただ一つ、皇室の継承と正当性を証明する「物」のみを墨守することを条件に、自身や近親者の処遇については覚悟の上で(無条件な)降伏を了承する旨、陛下に決断を迫ったと思われるのです。


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なお、この件を証明する資料は残念ながら殆どありませんし、今後も見付からないでしょう。そのため、この件は私の単なる「思い」でしかありません。


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