毎日記事「外務省のウイグル『ジェノサイド』認定拒否」報道について

2021/01/26、ウイグル弾圧について外務省出席者が「日本として『ジェノサイド』とは認めていない」と発言した旨、毎日新聞が報道しました。

 

当該記事に対して捏造と断じたり、日本政府がウイグル弾圧に対して主なアクションを起こしていないと落胆したり、短絡的な反応が散見されます……が、このジェノサイド認定については、毎日新聞記事からだけでは解りにくい問題があるようです。

 

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1. 毎日新聞の「ウイグルジェノサイド否定」報道と外務省の伝統見解

mainichi.jp

〉米国務省が中国による新疆ウイグル自治区での行動を「ジェノサイド(大量虐殺)」と認定したことを巡り、外務省の担当者は26日の自民党外交部会で「日本として『ジェノサイド』とは認めていない」との認識を示した

 

……なかなかセンセーショナルな話が出て来ました。

 

もっとも多くの報道は以下の共同通信記事をベースとしており、このような発言が外務省側からあったという話は毎日新聞のみが伝えています。 

this.kiji.is

 

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ネット界隈では「外務省の発言であって政府のものではない」「毎日新聞しか報道していない」と、事実関係から否定する向きが多いですが、出席した自民党の佐藤外交部会長が自らTwitterに毎日記事を添付しており、少なくとも佐藤氏はこの記事の見解を否定していないのではないでしょうか。

 

そもそもジェノサイド認定について、外務省及び日本政府が消極的という問題があります。

www.mofa.go.jp

 昨年1月のロヒンギャ迫害に関する国際司法裁判所の仮保全措置に対してすら、外務省の立場はミャンマー政府の対応を前向きに評価する前提のものでした。

 

利権や中国の浸透に対応する意図もあるのでしょうが、日本政府の方針はロヒンギャを含む多くの少数民族(のうち軍事的色彩を持つもの)との和解|外務省ミャンマー政府の複雑な状況の中で導き出すことであり、押し付けではなく、その国に寄り添った民主化支援を目指す(第198回国会外相演説・外務省)方針に準拠したものとも言えます。認定と制裁行動が一体となるジェノサイド認定とは真逆の対応なのです。

 

なお逆に日本政府がジェノサイド認定裁判に積極的に協力したものとして、クメールルージュ(KR)に対するカンボジア特別法廷が挙げられます。

www.kh.emb-japan.go.jp

日本国政府は、次の3点からKR裁判を重視しています。 第一に、KR裁判は、1980年代末以来、我が国が積極的に協力したカンボジア和平プロセスの総仕上げで、 同国に平和を定着させるために極めて重要であること。第二に、本件裁判は、犠牲者への正義の達成に資すること。 第三に、クメール・ルージュ裁判は、カンボジアにおける法の支配の確立に資すること

 

このクメールルージュ裁判に際しカンボジア司法と国連司法の軋轢緩和に努めたのが日本政府だったのですが、クメールルージュ糾弾のためではなく、カンボジアが自らの手で国際秩序に向かう通過儀礼への支援であった事を念頭に置くべきでしょう。

 

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2. ジェノサイド認定の有効性

ところでこの議論のきっかけとなるアメリカ新旧国務長官によるジェノサイド認定ですが、

www.nikkei.com

〉「ジェノサイド」という文言の使用は、正式な法的判断を示すものではない。イスラム教徒が多数を占めるウイグル族への中国の弾圧に対して、制裁を発動するためのさらなる行動をバイデン氏が義務付けられるわけではない

 

実際のところ、当事国が提訴した国際司法裁判所の判断をもって初めてジェノサイドと認められるものなのです。例えば国連等の調査で「ジェノサイドが行われた証拠が発見された」と公表しても、そこから自動的にジェノサイドと認められるものではありません。

jsil.jp

 

そもそも日本はジェノサイド条約を批准していないため、当事国として国際司法裁判所に提訴することが出来ません。であればウイグル問題に関する外務省のアクションとしては人道的懸念という言及に止め、ジェノサイド認定自体は国際司法裁判任せ、と判断したのではないでしょうか。

 

 ※「国際司法裁判所への提訴では現実の迫害防止まで時間が掛かり過ぎる」という意味合いで捉えるのは残念ながら筋違いでしょう。ジェノサイド認定自体には年単位の時間がかかりますが、上述した仮保全措置のように短期間で現実のジェノサイド行為を中断する手段はあります。

 

 ただしこの場合、提訴当事国とならないのなら「ウイグル迫害は中国によるジェノサイドである」と認定する必要は薄く、ただ「ジェノサイドと思わしき事態が発生している」の修辞的表現として「人道的懸念」を表明すれば十分な効果があるのではないでしょうか。

 

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……なおこのような外務省の弱腰を責めるだけでなく、件の毎日新聞のように

〉バイデン政権が強硬姿勢をとれば日米の足並みが乱れかねない

 と批判する向きも出て来るのかも知れません。

 

しかし当のアメリカでは同じマスコミの側が 

www.cnn.com

 "A statement that a genocide is occurring in a foreign country is a political act, not a legal finding, and its impact therefore depends entirely on the reputation and credibility of the speaker"

〉ジェノサイドが外国で起こっているという声明は、法的な発見ではなく政治的行為であり、したがってその影響は話者の評判と信頼性に完全に依存します

"Pompeo announced the determination at perhaps the worst moment imaginable (with the US) at the absolute nadir of its standing in the international community"

〉ポンペオは、国際社会での絶対的な最下層で、おそらく(米国で)想像できる最悪の瞬間に決定を発表しました

 前国務長官の認定を引き継いだブリンケン氏の翻意を促そうと必死なのです。

 

なお、ブリンケン国務長官は1/27の記者会見で

“But I – my judgment remains that genocide was committed against – against the Uyghurs and that – that hasn’t changed”

〉しかし私は…ジェノサイドがウイグル人に対して犯された、という私の判断は変わりません(ロイターHumeyra Pamukの質問に対して)

 と、一見して中国によるジェノサイド認定を引き継ぐと思われる発言をしています。しかし前述した通り、中国という主語を述べないジェノサイド発言はジェノサイド条約に基づく提訴の要件としては不足なのです。

www.state.gov

 

未だ腹蔵の見えないバイデン政権のアクション、それも梯子を外される可能性が少なくないジェノサイド認定に外務省が容易に同調しないのも理由があると考えられます。

 

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3. 外務省・外交部会の見解相違に付け込むもの

 一方で、 外務省の姿勢を問う佐藤外交部会長の発言にも、それなりの説得力があります。 

mobile.twitter.com

 日本の基本的な外交方針である「価値観外交」(基本的人権・自由・民主主義・法の支配)を損なうことが無い様に、進めてなければならない

 

佐藤氏との考えとは恐らく異なりますが……国際秩序に挑戦する活動を特定国家が行った際、各国が忖度に屈せず、自立した精神をもって国際秩序に基づく抗議を行えるよう支援するのが日本外交の要諦であった、と私は考えます。価値観外交或いはFOIPを推し進めた日本の言動にブレがあれば、価値観を共有する後続国家群の相互不信を誘う事になります。

 

ブリンケン国務長官の発言が不透明なものであるほど、日本が後退らないことの重要性は増している、という考えなのです。

 

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外務省のジェノサイド認定忌避も、国際秩序を根底とする各国の自主的な民主化支援から成り立つものです。

 

佐藤氏以下自民党外交部会の思いも、やはり国際秩序を根底とする価値観外交の視点からのものです。

 

そして外交部会会合では、双方が「中国によるウイグル迫害」という事象に対して対応の必要性は認めた上で、「米国の不透明性」「価値観外交への一般的不信」「制裁の効果」「相手側政権の国際秩序復帰への支援」etc…と双方手持ちの現実側面からジェノサイド認定について異なる見解を下しただけに過ぎない。私はそう考えています。

 

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ところで、この様な側面が報道により切り取って伝えられ、また情報を受け取る側が極論を展開することで安易な結論に埋没していく。最近はそんな状況が続いている気がします。

 

これは昨年来のコロナ或いはアメリカ大統領選挙における仮定に満ちた議論、あやふやな証拠に疲れた結果なのかも知れませんが、とにかく背景や実情を調べ直す流れが少なくなってしまいました。 

 

そしてこのような不安定な世論に、政治表明も反映されます。その象徴とも言えるのが、ここ数年でもっとも端切れの悪い外相演説でしょう。

www.mofa.go.ip

 

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ブログを始めてそろそろ2年になりますが、昨年を振り返るとつくづく国際秩序に関する論陣の分断が目立つ一年だったと思います。この状況こそまさに

〉「人間の安全保障」への挑戦

だったのではないでしょうか。