日イラン首脳会談を巡る群像劇: 暗躍するインドと撤退する日本

1/7訂正: 一文追加しました。書いていたはずの文章を、いつの間にか削除しておりました。

1/13訂正: 制裁回避に関する日本からの提案について、イラン大統領府HPに記載が無い旨の一文を入れましたが、現在ほぼMehrNewsの内容同様の記載が為されております。

1/27訂正: Laya Joneidi・河井前法相会談に関するIRNA記事が削除されたため、IranPress記事に差し替えました。


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はじめに


前回の文章で『互いの節度を示し合う意味はあった』と記した2019/12/20の日イラン首脳会談(外務省HP)ですが、この件について奇妙な報道が出て来ました。

en.mehrnews.com
MehrNews紙 2019/12/21

〉The president also said the Japanese government has expressed its readiness to invest in Iran's Chabahar.

クアラルンプール・サミット及び日イラン交渉を終えて帰国したロウハニ大統領より、「日本政府には『イラン南東部にあるチャーバハール港に投資を行う用意がある』と述べた」旨の発言があったらしいのです。

この件が真実であり、かつ当該記事など各報道が伝えるように『アメリカ制裁の抜け道を提案』する文脈の中での発言であったのなら、私が前回記したような節度ある外交からはだいぶ離れた生臭い交渉が行われていた可能性もあります。

しかし状況を省みる限り、現実に今回日本側がこのような提案を行ったとは考えられません。

  • 第一に、日本側はあくまでイランの核合意復帰を含めた国際秩序への回帰を前提としており、経済的利益がイランの方針変更を誘うとは考え難いこと。
  • 第二に、外務省HPはおろかイラン大統領府のHP(2019/12/21)にもこの件には触れておらず、事実の裏付けを持つオフィシャルな発言とは考え難い事
  • 第三に、このような重大な外交関係に関わる二国間交渉を日本側から行うのであれば、交渉のエキスパートたる茂木外相が同席するであろう事(なお当時茂木外相はロシア外遊中です)
  • 第四に、後述するようにイラン制裁の対象から外されているチャーバハール港ですが、他国による追加投資に関するアメリカの態度は厳しく、少なくともアメリカとの事前交渉無しに話を持ち出すとは考え難い事(6月の交渉時であれば、その機会はありえたでしょうが)
  • ……そして何より、そのような交渉は別途インドが行っていたことです。


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1. 日イラン交渉の裏側で……インド・イラン交渉


www.ndtv.com
NDTV 2019/12/19

国務省の幹部は水曜日に記者団に対し、トランプ政権のコミットメントとして「チャバハールの開発に対して、インドにアフガニスタンへの石油製品の輸出を可能にする港湾および鉄道の建設を可能にする限定許可を与えた」と述べた。


www.business-standard.com
Business Standard紙 2019/12/27

〉「交通、道路、税関、領事問題を調和させるための議定書を完成させることが合意された...チャバハール港を普及させるために、アフガニスタンとインドでプロモーションとビジネスイベントを組織することに合意した」とイラン外務省は金曜日に述べた。


簡単に述べると、

  • ロウハニ大統領が訪日に伴う外遊を開始した頃、インド・ジャイシャンカル外相がポンペオ国務長官アメリカで会談、チャーバハール港開発の許諾を得る
  • その結果を手に今度はイランに向かい、日本から帰国したロウハニ大統領やザリーフ外相と会談
  • チャーバハール港開発及び同港からアフガニスタン国境付近までの鉄道建設の署名に漕ぎ着ける


……丁度日イラン交渉の最中に、インドがアメリカに対し根回しを行い、イランとの経済交流を謀ることに成功した訳です。イラン側から見れば、上記MehrNewsの記事にある“アメリカ制裁の抜け道”はインドが作ってくれた形になります。


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アメリカによる経済制裁が行われているイランですが、パキスタン国境に近いチャーバハール港の開発について、アフガニスタンへの支援物資輸送の名目と中国が巨額の投資を行ったパキスタン・グワーダル港への対抗という理由から、例外的に制裁の対象から除外されておりました。

アフガニスタンには自由主義陣営の隣接国が存在せず、支援物資の輸送にはインド洋沿岸国からチャーバハール港→アフガン国境付近への鉄道敷設という手段が最も現実的なのです。
www.reuters.com
Reuters紙 2018/11/07

ただし、表向き制裁から除外されていたチャーバハール港開発ですが、実際にはアメリカ側からの視線は冷たく、主に担当していたインドを中心に実質開発投資は困難な状況になっておりました。

それが今回、インドの活動についてアメリカ側から正式な許可を得たわけです。建設機械調達に関する保証書類と共に。

www.thehindubusinessline.com
Hindu BusinessLine紙 2019/12/25


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このチャーバハール港の交渉を通じて、インドはアメリカの機嫌を損ねない形で、イランとの経済交流に着手する事が可能になったはずでした……が、数日後にイランは見事なオチを用意してくれやがりました。

このチャーバハール港を集合拠点とした、イラン・ロシア・中国海軍による軍事演習を開始したのです。

www.timesofisrael.com
Times of Israel紙 2019/12/27


〉イラン海軍は金曜日、インド洋北部でロシアと中国との空前の合同海軍訓練を開始した、とイラン国営テレビは報じた。

オマーン湾およびパキスタンとの国境近くの南東の港町チャバハールから開始された4日間の演習は、地域の水路の安全性を高めることを目的としています。


……アメリカの開発許可を得た港を、明らかにアメリカに対抗する国家群による軍事演習に使われる。イラクは仲介に奔走したインドの顔に泥を塗る行為に出たのです。



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2. インド外交の隠れた意図と、各国の群像劇


ところで、ジャイシャンカル外相が訪米したのは本来米印2+2会談が目的だったのですが、実はこの共同声明にはインドの隠れた思惑が込められています。

mea.gov.in
インド外務省HP 2019/12/18

〉インドは、国連のテロリスト指定にJeMの指導者Masood Azharを含む事への米国からの支持を高く評価し、米国は、テロの指定に関するさらなる協力を促進する、インドの法律変更を歓迎しました。


……見逃してしまいそうな文章ですが、日本での2+2共同声明(外務省HP)において

〉四大臣は,全ての国が,自国の支配下にある領域が他国に対するいかなる様態のテロ攻撃の開始にも使われないことを確保する必要性を強調した。

〉四大臣は,この文脈において,パキスタン国外で活動するテロリストのネットワークによりもたらされる地域への脅威に留意し,パキスタンに対し,テロリストのネットワークに断固とした,不可逆的な行動をとり,FATFに対するものを含む国際的なコミットメントを完全に遵守するよう求めた。

と明記し、後に海部篤外務副報道官が含意を否定する事となったように、米印2+2共同声明にもジャムカシミール地方に対するインドの政策に同意する旨の一文が盛り込まれていたのです。

※Masood Azharが率いるJeMとは、ジャムカシミール地方で活動する親パキスタン組織です。


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もちろん、インドの行動を非難するつもりはありません。

ここで言いたいのは『日・米との共同声明に無理やり織り込むほど、インド側はジャムカシミール地方への政策正統化を現時点での最優先課題としていた』のではないかということ。

チャーバハール港を巡る一連のインドの行動も、経済提携よりも憲法370条廃止・国籍法改正の正当性を自由主義諸国に納得させ、一方イスラム国家たるイランの口を封じる事が目的だったではないか、ということです。


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さて、この対イラン交渉を巡る動きについて、黒幕を探し出そうとする試みはあまり意味がないと思われます。
日イラン交渉、チャーバハール港開発を巡るインド・イラン及びインド・アメリカ交渉に至るまで、各国それぞれの思惑があり、その思惑に応じた果実をそれぞれが得、失っているのです。

  • 日本に対しては節度ある交渉に留める一方、他の関係諸国には利益供与を通じた対米行動を強い、結局核合意を以てしても復旧しえない対立図形に巻き込んでしまうイラン
  • 米イランの仲介を通じ、対イラン交渉の国際的プライオリティとカシミール関連法案の後ろ盾を同時に勝ち取った一方、インド太平洋を巡る対一帯一路同盟に影を落とす形となったインド
  • アフガニスタンを巡り中国・イランへの二者択一の譲歩という政策の矛盾に追い込まれた末、日本の轍を踏む共同声明をインドに強いられたアメリ


更に日イラン首脳会談直前のクアラルンプール・サミットまで含めれば

  • サウジ中心のイスラム思考から脱皮を図り、国際協調のための自省と解決を模索する国際会合を主催するも、イスラム中枢とも自由主義陣営とも対立する反主流派の潮流に巻き込まれた末「ウイグルを除く」イスラムへの圧力に正面対立する立場を表明、サミットの主旨を見失ってしまったマレーシア

……そして今回の交渉が節度ある、言い換えれば特別な進展を見せないものであった事で対イラン交渉での国際的プライオリティを低下させ、『また』安倍首相の対外姿勢を改めて表明した日本。


それぞれの立場に応じた得失があり、また結果の一つ一つを本人達が得失どちらと見なしているのかが分かり難い、各国がバラバラに動いた結果であったと思われます。

ただ一つ言えるのは、ほぼ完全に巻き込まれた立場のマレーシアを除いて、彼らが他国から理解しがたい大義名分のもと策謀を繰り広げた結果だという事です。


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3. イラン交渉から静かに撤退する日本


……イラン側が節度ある二国間外交に留まったことにより、安倍首相の対外姿勢を改めて表明したことは、まさに僥倖であったのかも知れません。

イランの対応次第では、日本もマレーシアのようにイスラム情勢の災禍に巻き込まれた可能性もあったのです。その意味では、ジャムカシミールに関するインド側の口封じも効果があったのかも知れません。

ただし、イラン側が節度ある二国間外交に留まったのにはさらに理由があります……というより交渉相手としてのプライオリティを低下させたのには、一つの布石がありました。

イラン側から提唱されたノーリスクの経済提携案、特定技能者に関するイラン法律担当副大統領からの譲歩案を日本側が拒否していたのです。


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www.moj.go.jp
法務省HP 2019/10/24


……10月の即位の礼に伴いイラン来賓Laya Joneydi法律担当副大統領が来日した際、安倍首相とだけでなく河井前法務大臣との会談も行っておりました。


iranpress.com
IranPress紙 2019/10/24


〉ラヤ・ジョエニディは、日本の両国が法学部とイラン弁護士会を通じて司法外交に協力できると強調した。(中略)

〉また、才能があり教育を受けたイランの若者が日本で働き、国の成長を助け、日本の工場や機関と経験や専門知識を共有できると述べました


この文章が指しているのは、海外からの技能研修生を受け入れる従来の技能実習制度についてではなく、他国で技能試験や日本語試験をパスした技能者を受け入れる形の新在留資格、『特定技能』に関連する法的枠組みの事です。


実を言うと、即位の礼に際して河井前法相に表敬訪問した国はイランの他にも数カ国あり、その中でもキルギスのように法務省HPにて特定技能協力覚書(MOC)締結について言及している国があります。
最近はイラン同様、いわゆる技能実習制度の送出国(JITCOとのR/D締結国JITCOホームページより)として覚書を締結していない国家に対しても、前向きに交渉しています。
www.moj.go.jp
法務省HP 2019/10/24


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さて、特定技能者の送出国となるためには『特定技能協力覚書(MOC)の締結』が実質不可欠となっていますが、最新のMOCでは在留が認められなかった者の帰国について、送出国側が責任を持って自国への受入を行うことが前提になっています。

一方、イランは憲法上自国民の移動の自由を認める立場から、在日イラン国民の自国受入を国民自身の希望により拒否する立場を取っており、結果として現在唯一『(MOC以前の問題で)自国民が日本の特定技能資格を受けることが出来ない』ただ一つの国となっていました。
出入国管理及び難民認定法第七条第一項第二号の基準を定める省令の特定技能の在留資格に係る基準の規定に基づき退去強制令書の円滑な執行に協力する外国政府又は出入国管理及び難民認定法施行令第一条に定める地域の権限ある機関を定める件(案)の概要について
法務省HP なおトルコについては2019年7月に解除


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……即位の礼に際して訪日経験のあるザリーフ外相やアラグチ外務次官ではなく、Joneydi法律担当副大統領が来日し、河井前法相との会談を行ったのは、イラン側がMOC締結に向け自国方針の変更まで打診したと考えられます。

特定技能者の受入が当初予定より極端に低いなか、法務省は勿論政府としてもMOC締結国の追加は魅力的です。このMOC締結をもって直ちに両国の関係に影響が出る事は在りませんが、少なくとも日本にとってはノーリスクの提案だったと言えるでしょう。

しかし、法務省HPを見る限り河井前法相からはこの件に関する前向きな反応はありませんでした。
そして12月の日イラン首脳会談では、既にこの特定技能のMOCについてイラン側からも提示していません。

日本側の拒否により、この話は立ち消えとなったのです。


“粘り強く対話を行うことで、外交努力を尽くしたい”

12/09の会見で、首相は未だ対イラン交渉に積極的な発言をしていましたが、それとは裏腹にイラン側が提案した政治性の薄い提携すら拒否し、イランとの対話から撤退していた訳です。


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“対イラン交渉での国際的プライオリティを低下させ、『また』安倍首相の対外姿勢を改めて表明した”と先程記しましたが、

二つの言葉を『一方で』ではなく『また』で繋げたのは、このどちらも日本政府は外交勝利だと考えているのではないか、という事です。

日イラン首脳会談時、茂木外相がロシアにいた事にも象徴されますが、既に安倍内閣の外交方針は利益確定の時期に入ったのではないか。
いわゆる『地球儀を俯瞰する外交』国際的な配慮を起点とする外交ではなくなり、むしろ各国からの火の粉を払い落とす態勢に入っているのではないか。


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……令和の時代から始まった新たな日本外交、国際情勢をシビアに見つめ直した国益強化の外交を、回顧の感情からつい後ろ向きに捉えがちになってしまいます。

来年からは、もう少し良いところをクローズアップ出来ればいいのですけどね。



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このブログが初めての年越しを迎える事となりました。

「皆様の御陰で年越しを迎えることが出来ました」と言える位、来年は読者の視点に立った見やすい文章にしようと考えています。

来年は、良い年でありますように。